想像してみてください。大西洋を横断する旅に出る決意をしたとします。持っていくのは、もろい空気ボートで、水や食料は一切なし。想像するのはちょっと難しいですよね。だって、正気の人がするようなことではないですもんね?しかし、50年代にこれをやってのけた男性が一人存在します。
アラン・ボンバールは、サバイバルテクニックに大きな興味を抱いていたフランスの医師です。医療現場の経験から、遭難による悲劇に関してまで、たくさんのケースを見てきました。その中でも、彼が特に気にした事…。それは救難ボートには、釣りの道具が完備されていなかった事です。さらに、数日以上、海の上で人間が生き延びることが出来ないということが、当時は広く信じられていたんです。
タイムスタンプ:
魚の汁? 😖 1:03
ボンバールが影響を受けたもの 1:59
水なし、食料なし、空気ボートのみ2:55
お化け船 4:18
実験から友人がリタイア5:26
ひどい嵐 6:00
旅の一番の目標 7:53
#海上で一人ぼっち #海 #生存ストーリー
概要:
- 彼が立てた仮説は、適切に扱えば、最低限だけでも、生魚、ビタミンCを得るためのプランクトン、そして海水だけで、もっと長く生き延びることが出来るというものでした。
- 1952年、彼が28歳の時、食料も水も持たずに、5×6メートルの空気ボートでの大西洋横断を決意。彼は、船を「異端者号」となづけました。アラン・ボンバールと友人で航海士のジャック・パルマ―。基本的な釣り道具、コンパス、帆のみで、海を渡ります。
- 旅は、1952年の5月25日に始まります。ボンバールとパルマ―は、モナコを出発し、アメリカ大陸に向けて西へ進んでいきました。この目標がどれだけ大変なことか気づくまでに、そう長くはかかりませんでした。
- ある日、ボンバールとパルマ―は近づいてくる船の音をはっきりと聞き、光さえ目にしたのです!しかし、突然、風で霧が晴れ、ボンバールとパルマ―は衝撃を受けたのです。「見なかったこと」にびっくりしたと言ってもいいかもしれません。自分達の周りには、船など全くなかったのです。空気に消えた船…?!
- 数日後、モロッコのタンジェに到着。ここで、パルマ―は実験からリタイアします。彼にとって、この旅はきつ過ぎたのです。しかし、ボンバールは、自分の理論が正しいこと、自分は目標を達成できる、ということを証明したかったのです。
- 大西洋は、彼の決断の味方にはなってくれませんでした。すぐに嵐に巻き込まれます。その時になって、ボンバールは、自分が嵐に対する準備ができていないことに気づきます。
- アラン・ボンバールが大西洋の残酷な試練を乗り越えたかのように、水は穏やかになり、魚が群れで現れるようになったのです。そこから、食べ物と水を得るのに困ることはありませんでした。
- 彼の危険な旅の主な目標は、難破した後に海に取り残された人達が生き延びることができる、ということを証明すること。しかし、近くに船を見た際は、注意を惹こうと努力しました。
- 太陽で肌が焼けようが、24キロも減量しようが、台風に耐えようが、すでに経験した飢えと嵐に比べれば、どうってことはありませんでした。1952年12月3日、彼は西インド諸島のバルバドスに到着。緊急用の食料は、まだ手つかずでした。
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