【安妮女王簡約風茶具】
1598年4月13日,法國波旁王朝首位君主亨利四世(Henri IV,1553-1610)簽署頒布「南特詔令」(Édit de Nantes),又名「南特敕令」。
從此,法國境內信奉喀爾文主張的新教「胡格諾教派」(Huguenot)享有與天主教徒同等的公民權利,無需再被欺壓或歧視,這也是歷史上少見的宗教寬容法令。回顧西方歷史,以宗教為名的大小戰爭不計其數,亨利四世在那個年代就有此遠見,無論是否考量到自身政治利益或者信仰屬性,都可說是難得之舉。
可惜好景不常,到了亨利四世的不肖孫子路易十四(Louis XIV,1638年-1715)在位時,為了徹底實踐君權神授和中央集權,建立絕對唯一權威,再也無法容忍國土之內新舊教並存,於是1685年頒布「楓丹白露敕令」(Édit de Fontainebleau),否定南特詔令,開始迫害並驅逐新教徒。
-----------
路易十四以宗教唯一策略加強君主集權,博取法國人民認同,雖然有其效益,然而卻使得至少數十萬胡格諾教徒因迫害行動出逃至歐洲其他國家,甚至遠赴北美。
這些被迫離開法國的胡格諾教徒其實人才濟濟,他們之中有許多傑出的工匠,包含造紙業、絲織業、羊毛產業、長襪和手套製造等行業,不但掌握技藝同時控制法國大量出口貿易額。另外還有為數眾多的銀匠。隨著逃亡遷徙,他們將專業技術和知識帶到新的國度,不僅振興當地相關產業,也提高生產力,為他國創造大量財富。
對於接納這些宗教難民的國家來說,手藝精湛的胡格諾工匠大師簡直是法國拱手送給他們的寶藏。
與法國領土僅隔一道海峽,英國自然也成為胡格諾教徒選擇新家園的理想地點。
-----------
其實「楓丹白露敕令」頒布之前,路易十四便已經展開一連串行動驅逐新教徒,導致早有胡格諾工匠陸續移往英國。相較於英國當地工藝水準,胡格諾工匠超出水平許多的手藝自然受到矚目。儘管落腳之初難免引來英國同行嫉妒,幸虧隨著敕令頒布,迫害愈甚,皆屬新教的英國人民同情之心油然而生,才讓遠來的胡格諾眾人覓得一處安身立命之地。
這組銀製《茶壺、酒精燈和茶几》(Teakettle, lamp, and table)就是英國胡格諾銀匠大師賽門・
潘坦一世(Simon Pantin I,c.1672-1728)約1724至1725年間的作品。
-----------
潘坦是18世紀初期在倫敦相當受到敬重的銀匠大師,他的客戶非富即貴,也都是當代時尚人士,其中最具影響力者就是英國君主。依據古代流行準則,在上位者個人喜好往往都會引來一群馬屁精群起效尤,進而形成潮流,潘坦的時代也是如此。
《茶壺、酒精燈和茶几》就是約克郡一對顯貴夫妻跟潘坦大師下單訂製而成,形制簡潔優雅,茶壺和酒精燈可分別拿開,只留一座精巧茶几。這般超前時代的純粹凝鍊,即使置放於現代居家空間,看來仍舊雅致時髦舒心悅目,正有「天然去雕飾,清水出芙蓉」般的清麗明媚之態。
300年前設計竟然如此前衛新穎,正是典型的〝安妮女王風格〞(The Queen Anne style)。
-----------
安妮女王(Anne,1665-1714)是司圖亞特王朝(The House of Stuart)最後一任君主,在胞姊瑪麗二世(Mary II,1662-1694)和姐夫威廉三世(Willem III van Oranje,1650-1702)因1688年光榮革命夫妻共同繼位,卻未留下子嗣後登基上任。
不同於姐姐瑪麗二世喜歡繁複華麗巴洛克裝飾,安妮女王反而偏愛樸實無華、簡單乾淨的格調,而精煉美感和絕佳品質,也成為安妮女王時代銀器的特色。
要在節制的設計中創造視覺效果,卻不仰賴複雜雕刻工藝,更是考驗銀匠的能耐。正好已在英國落地生根的胡格諾工匠具備出色手藝,得以運用線條和鑲版,利用因光線照射在不同角度所形成的反光和偏轉效應,構成各種紋理,增添精緻美感。
才能卓越的胡格諾工匠如潘坦,就像許多優秀的藝術家一樣,都善於吸收外來文化再轉為己用。例如茶几的桌腳和八角形桌面,以及八角形水壺造型都於源自倫敦家具市場可見的中國瓷器和漆器,另外茶几的三角架中心柱軸靈感則由當代木製家具而來。
因此這組銀製茶具不僅象徵安妮女王個人品味特質,更是結合英法兩國錯綜複雜的宗教發展背景,以及航海時代之後形成全球化貿易網絡,東西文化交流之後的成果。
-----------
其實胡格諾教徒出走法國,宗教迫害只是原因之一,實際影響因素尚且包含路易十四為了籌措長期對外戰爭的軍費,持續大舉徵稅,同時還下令徵收金銀餐具和家具,用來鑄鍊成錢幣收歸國庫。波旁王朝至此盛極而衰,敗象已露。
你可以說國王自己所擁有的鑽石數量絕對更值錢啊~捐幾顆鴿子蛋出來肯定勝過老百姓家裡那一疊又一疊的鍋碗瓢盆。但這都只是我們不懂事老百姓的天真想像。愛鑽石愛到恨不得吞進肚子裡的路易十四怎麼可能割愛?結果不但老百姓家裡的金銀器具和錢包被扒光,就連凡爾賽宮內的黃金器物也遭殃,通通進了鑄幣廠。
這麼一來,連帶使得胡格諾工匠的訂單大量減少,即使好不容易來張訂單,也因為缺乏製造原料,根本很難做出成品交差。如果再加上宗教迫害帶來的公民權益受損、財產沒收、行動限制和殘酷刑罰等因素,五窮六絕的情況下,不走人另謀生路才奇怪吧?
-----------
路易十四當年這項措施無疑造成法國極大損失,也被他國給撿了現成又好大的便宜。然而歷史無法重來,錯誤難以彌補。
站在王權的十字路口,如果你是路易十四,你會怎麼辦?
#國王很難
#老百姓更難
#自由多可貴
#東西縱橫記藝JunieWang
#部落格 https://juniewang.mystrikingly.com/#articles
#IG https://www.instagram.com/art.junie/
圖片來源 : 網路
《Copyright © 2021東西縱橫記藝JunieWang版權所有,禁止擅自節錄,若需分享請完整轉貼並註明來源出處》
同時也有26部Youtube影片,追蹤數超過2萬的網紅群馬テレビ・群テレ,也在其Youtube影片中提到,古代から現代までの火にまつわる調理器具を展示する企画展「ふじおか火の生活史」が群馬県藤岡市の藤岡歴史館で開かれています。 藤岡市内で出土した土器や、市民から寄贈された古い調理器具など火に関連する資料約40点が展示され、その移り変わりを見ることができます。企画展は来月6日まで開かれています。...
古代 器具 在 文茜的世界周報 Sisy's World News Facebook 的精選貼文
《寶溪國際「竹建築」雙年展》
這是一場永不落幕的「竹建築」展,始於2016年。
參與者包括隈研吾、George Kunihiro、Anna Heringer、楊旭、李曉東等。來自 9 個國家 共12 名建築師,他們打造了18 座「永久性」的竹建築。
竹建築展在日本已經行之多年,在中國除了北京長城公社之一的建築代表作之後,中國建築先走上國際建築路缐,互相競逐缐條,燈光:卻忘記了環境中的污染。
竹建築雙年展地點在中國浙江省寶溪,策展人葛千濤回應地點的選擇:人文基礎、歷史淵源和地理地貌是他選擇這個離上海 650 公里車程的小鄉村的原因。
在2011-2014 年前,中國的混凝土消耗量已超過了美國。意識到這一點之後,環保建築材料之風才慢慢刮起,建築師開始尋找更天然的材料。
四年前開始的竹雙年展結束後,這些建築不拆除,留下來繼續使用。因為「永續」環保,正是這次雙年展的主要核心價值。
這次獲首獎🏆的作品為隱居龍泉。它為國際竹建築文創,開啟了很大的動力。
竹子在東方並不難找,堅韌有力、生長週期短、不必破壞山林、又富有延展性。這些優勢都讓竹子脫穎而出,建築師 Anna Heringer 團隊在建構得獎的隱居龍泉時,特別青睞竹子,大量使用。
Anna Heringer説:比起傳統建築拼命使用泥土、大理石等建材,竹子要坦誠很多,竹子編織的網罩直接成為建築外立面,呈現毫無保留穿透的美感。
每到夜晚,內部的石塊建築發出微光,竹制外殼則如同燈罩,建築物此時就像放大了很多倍的手工藝品。
得到首獎、打敗日本建築大師級隈岩武的隱居龍泉,建造之初即希望能與當地的文化特色有關聯。
寶溪鄉的陶瓷器皿,頗有名聲,這幾座建築的形態就被設計成燒陶制瓷的器具的外觀。線條、弧度,再用於大型建築上。
獲得 ArchDaily 大獎的「隱居龍泉·國際竹建築文創生活村落」,由兩間旅捨和一間民宿組成。(圖片1-14)
製作這樣的大型竹建築並非易事,建造過程考驗竹工匠的手藝,這也為當地的匠人提供了大量的成就感。
當地村民「胖子」和她的「泥牆」匠人組,每次碰到遠道來觀看考察的客人,都會問一句「你覺得這個房子漂亮嗎?」
「這種因為參與項目而產生的認同感,自豪感,正是竹建築雙年展的意義所在。」
策展人葛千濤形容「手工精神構築起了鄉村自覺的鄉土精神」。首屆國際竹建築雙年展想傳遞的正是「場所精神,鄉土建設」。
* 擅長使用在地性材料的隈研吾出現在這次雙年展可以說是「眾望所歸」,他的建築作品向來強調溫暖及自然。青瓷是寶溪當地重要的文化特徵,隈研吾在「竹雙年展」設計了一個當代青瓷藝術館,展示當地文化。(圖片15-20)
藝術館跨溪而建,造型靈感來自當地(壓製成型)的重竹,隈岩吾刻意放大出重竹的張力。
隈研吾主張的「隙間」理念,也因竹的疊排及錯落而呈現。整座青瓷藝術館建築,如呼吸著自然的氣息。
隈研吾認為比起城市,在農村舉辦這樣的雙年展更有意義,「在鄉村做這樣的雙年展,它的意義遠遠超越雙年展本身。」
尤其在中國。他説。
*策展人葛千濤,除了邀請國際大師參與之外,也以「竹橋」自己的作品參展——一座以石頭為橋墩、竹材做成巨型螺旋結構的橋梁。(圖21-23)
「橋的造型語言源於 DNA 雙螺旋結構圖,寓意了竹建築雙年展文化基因的在地性。」
葛千濤本想做一座古代廊橋,但建築師們幾乎全體否決了這個想法:「歷史可以穿越,但無法複製。尋找文化基因,並不只有復古這一條路。」
這座竹橋所處的位置也有深意,它連通著古村落和當代竹建築社區,「在穿梭的光影變化中將傳統引向了未來」。
*中國建築師李曉東為竹產品的研發設計打造了一個「創空間」,建築外立面呈現竹林的意境,建築本身即融於環境中。(圖24-28)
李曉東對於鄉村建築有自己的想法:「鄉村生活應該審視當下環境,因地制宜地發展,而不是一味地複製城市生活。」
*建築師楊旭則在這𥚃,留下了他的遺作。他共設計了兩棟藝術酒店——「花間」和「水間」。「水間」靈感源自寶溪當地的龍窯,如青瓷器皿一般的外形中,龍窯在內部盤旋而上。(圖29-31)
在國際竹建築雙年展正式開幕的前一年,楊旭遺憾離世,成為他最後的遺作。
這場國際竹建築雙年展也成為一次啓蒙。在 18 座竹建築潛移默化四年的影響下,當地及上海附近其他幾棟民宿也「返璞歸真」,重新審視在地性材料,把原來的馬賽克牆換成了木板。「這也是文化的反哺,一種審美觀念的改變。」
古代 器具 在 Facebook 的最佳解答
北五堵余家莊
這是基隆河流域上的一個清代中晚期的農業聚落,由福建移居的余姓家族建立,主要以種植茶葉為大項,藉由大稻埕的英商陶德 (John Dodd 1838-1907)的商業網路,這裡的茶葉遠銷到英美,為台灣的茶葉品質打下了堅實的口碑。
莊內仍然可以看到古代聚落的建築物空間配置,最難得的是氏族的公廳以及公廳前的半月池都還保留著,早期的製茶器具也被靜靜地放置在角落,這裡大概可以算是基隆河流域殘留清代農業聚落痕跡最完整的地方了。
余家的茶場目前已經被公路以及工廠貨櫃場給劃分殆盡,若非認路的人是不可能再區分清楚哪裡是茶場,哪裡是河畔的碼頭了。不過余家的茶產業分佈最遠可以到達姜子寮山,在那片山上還可以看到當初為了種植茶葉而開闢出來的石砌梯田。
<文史內容由 李正仁 老師指導。>
#王傑老師的線上水彩課
古代 器具 在 群馬テレビ・群テレ Youtube 的最讚貼文
古代から現代までの火にまつわる調理器具を展示する企画展「ふじおか火の生活史」が群馬県藤岡市の藤岡歴史館で開かれています。
藤岡市内で出土した土器や、市民から寄贈された古い調理器具など火に関連する資料約40点が展示され、その移り変わりを見ることができます。企画展は来月6日まで開かれています。
古代 器具 在 虹色侍にじいろざむらい Youtube 的最讚貼文
▽晋平太さんのチャンネルはこちら
https://www.youtube.com/channel/UCpgfNu5rWr-_C4iSplHPlzg
▽晋平太さんの動画はこちら
https://youtu.be/6CNkAxvpFLo
▽ゆゆうたさんのチャンネルはこちら
https://www.youtube.com/channel/UCNMG8dXjgqxS94dHljP9duQ
▽ゆゆうたさんの動画はこちら
http://y2u.be/7GKIZc6XeQw
▽TATSUYAさんのInstagramはこちら
https://www.instagram.com/tatsuya_beatbox/
https://www.youtube.com/user/tatsuya1109humanism
―――――
こんばんは、バランです。今回は星野源さんの『さらしもの』を想像で歌うという暴挙ですね。相変わらず素敵です。
ところで、よく情報番組なんかで、アメリカの非行少年が"『私はこういう罪を犯しました』って書かれた看板を持って長時間立つ"という刑罰を与えられているのを見ることがありますよね。
ある意味ではあれも『晒し者』だと思うんですけど、最近、中国の一部の都市では、より"ハイテクノロジー"な『晒し者システム』が出来ているそうです。ほう?
どういうシステムかっていうと、例えば信号無視をした歩行者がいるとするじゃないですか。悪い奴です。
で、信号無視をしたらすぐに『顔認証システム』が発動して個人が特定されるんですって。へえ。
そして、その違反者の顔写真と個人情報が『街頭スクリーン』に表示されるそうですよ。ほー。
まさに現代版の『晒し者』ですよね。すごいな。
ちなみに、フランスでは信号無視をした場合『近くの電子パネルがそれを感知して、すぐさま爆音のブレーキ音を流す』というキャンペーンが行われているそうです。
信号無視をして後ろめたい気持ちになっているところに、突然ブレーキ音が鳴り響くわけですから、そりゃあビビる。
だって車に轢かれたかと思うもんね。ええ。
で、そのびっくりした顔は自動で撮影されて『これがあなたの人生最後の表情ですか?信号は守りましょう』ってパネルに表示されるんですって。
ハイセンスかよ。これは信号守りたくなる。うん。
ところで、『晒し者』と聞けば僕はマリーアントワネットさんが浮かびます。
『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』で大ひんしゅくを買って
ギロチンで『晒し者』として処刑された王妃です。可哀想。
ですが、このお話には2つの意外な真実があります。はい。
まず、『ギロチン』についてです。あ、今普通にギロチンをテーマに選びましたけど
ギロチンをトークテーマにして楽しそうにおしゃべりする人って、僕以外にいるんでしょうか。
ふと思っただけですけど、何故か不安になります。
まあ、とりあえず、ギロチンってめちゃくちゃ残酷な処刑器具って感じしますよね。
でも真実としては「死刑囚に苦しみを与えないために工夫した処刑方法」がギロチンだったんですって。『ギロチン処刑』のアイデアを提唱したギヨタンさんが言っていたそうです。ふーん。
事実、ギロチン処刑が導入される前の死刑方法は『斬首』、つまり刃物で首を切るという方法だったんですけど
技術のある処刑人でなければ中途半端な斬首になってしまい、余計に苦しんでいたそうです。
あ、ハリーポッターのゴーストにそういうの居ましたよね。確かにあれは嫌ですね。ええ。
ちなみに、ギロチンを見に行くなら、ベトナムの『ホアロー収容所』がおすすめです。
実際に捕虜が収容されていた施設で、リアリティがハンパないです。マジで。
あまりのリアリティに、心霊スポットにいく時よりも怖いと言われています。やべえやつです。
そして、リアリティといえば『Battle of Camlann』っていうゲームをご存じですか?
VRのゲームなんですけど、その中に実際に斬首のシーンがあるそうで
プレイした人があまりのリアリティに、気絶してしまったんですって。
斬首の瞬間の息苦しさや意識混濁の感覚があり、VRでの体験が実際の身体に影響したのではないかと言われているそうです。VRが現実に侵食してくるなんて、夢の外へ出られないあの感覚と同じ恐怖を感じます。怖っ。
このゲームのプレイは絶対にお勧めしません。はい。
あ、そうそう。これと似たようなエピソードは映画『パニッシャー』にも出てきますよね。
服を脱がせ、拘束した囚人の背中にアイスキャンディーを当てるシーンなんですけど
普通に考えたら、『うわっ冷たっ!』ってなるだけですよね。ええ。
でも、『お前の肉が焼けているぞ』って言葉をかけながら、見えないところで市販の肉をバーナーで炙るっていうギミックを仕掛けるんです。
すると、アイスキャンディを背中に当てられているだけなのに、大やけどしていると思い込むわけです。なるほど。思い込みって怖いですね。ええ。
さて、マリーアントワネットさんのお話に戻りますが
ギロチンの使用と同じくらい有名なセリフ『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』についても、意外な事実があります。
まあ、このフレーズだけ聞けばマリーアントワネットさんは『高飛車』とか『庶民の気持ちの分からない貴族』、『軽率でわがまま』みたいなイメージを持つと思うんですけど
実際は『パンの原料である小麦の値段が高騰しているなら、安い小麦を使っているブリオッシュ(菓子パン)を食べればいい』という意味で言っていたそうで
つまりは『原材料費の安いものを食べましょう』っていう、至って普通のことを言っていたんですって。意外。
実際、ギロチンで処刑される直前に、マリーアントワネットさんは死刑執行人の足を踏んでしまうのですが
その時に『お赦しください、わざとではありません』と言ったそうです。
うわ、めっちゃ気配りのできそうな気品。ここにいないあなたへ伝えたい。恋しそうです。
ちなみに、一説によるとギロチンでの処刑の際には通常顔を下に向けるところ、マリー・アントワネットのときには見せしめのため、恐怖を与えようと
『わざと顔を上に向けて』刃が落ちてくるのを見えるようにしたとも言われているそうです。ニーチェ的に言えば『ル・サンチマン』ってやつでしょうか。
ここまでくると、世論とマリーアントワネットのどちらが『軽率でわがまま』なのかよくわからなくなってきます。人道的な処刑器具のはずだったのにね。はい。
ところで今、マリーアントワネットさんも言及していた『パン』についてなんですけど
実は世界史を紐解くと、『パン』は世界の様々なシーン登場します。
例えば、イエス・キリストの『共観福音書』では、パンと葡萄酒をそれぞれ「自分の体」「自分の血」として弟子たちに与えていますし
イングランドの詩人ジョージ・ハーバートさんは『希望は貧者のパンである』という言葉で、希望を持ち続ける重要性を説きました。
他にも、ドイツでは『芸術はパンに従う』という言い回しで、「どんなに優れた芸術でも財力が無ければ始まらない」ということを表したりします。
ちなみに、『花より団子』という諺が日本にもありますが、アメリカでは『鳥の歌よりパンがいい』と言われているそうです。さすがに鳥も『歌を歌うときくらいパンは置けよ』って思うと思うんですけど
何処の国も考えることは同じですね。はい。
それから、company(カンパニー)っていう英単語があるんですけど
これは、ラテン語でcom(みんなで)pan(パンを食べる)、つまり『同じ釜の飯を食った仲間』から
『会社』だけでなく『仲間』とか『人との付き合い』みたいな意味を持つそうです。なるほど。
あ、そうそう。『パン』は英語で『ブレッド』ですけど
じゃあ英語の『pan』はどういう意味か知ってますか?「天秤のお皿」って意味だそうです。へえ。
急に全然違う意味になりましたね。天秤ですか。
天秤と言えば『裁きのシンボル』として弁護士バッジにも描かれていますが
これは、古代エジプトの古文書『死者の書』の中で、死者の裁判官であるウンネフェルが
死者の心臓(罪)と女神の羽(真実)を天秤にかけて審判を下していたことがきっかけだそうです。
いや、羽と心臓って。流石に誰がやっても心臓の方が重いと思うんですけど、でもそうなると地獄行きだそうです。マジかよ。
え?地獄でなぜ悪いかって?化物に魂を喰われて二度と転生できなくなるからです。はい。
ところで、物の重さをはかる技術って色々ありますよね。
でもその中でも一番有名なのは、やはり『てこの原理』ではないでしょうか。
あれって、誰が考えたか知ってます?僕は「てこ」さんだと思ってたんですけど
実は物理学者のアルキメデスさんだそうです。めっちゃ有名人ですね。へえ。
お風呂に入っていて、自分の体が沈むと同時に湯船からお湯があふれたのを見て
『浮力の原理』を発見したことで有名な学者さんですよね。
その後、『エウレカ!』(わかったぞ!)といって裸で街を飛び出したみたいな笑い話が
語り草になっていますけど、当時のギリシアでは男性は外で裸で運動するのが普通なので
そんなに非常識なことではなかったようですよ。へえ。
まあ、アテネで行われていた古代のオリンピックも、全員全裸だったそうですし(知ってた?)
そう考えれば、裸で外に出て走り回るのも日常なのかもしれません。凄い価値観だ。
第一回オリンピックのフィルムとかあったら、絶対笑います僕は。だってギャグでしかないもん。ええ。
まあでも、当人たちは本気でしょうから、そういう意味ではくだらないの中にも熱意やスポーツマンシップといった、素晴らしいものは垣間見えるのかもしれませんけどね。はい。
ちなみに、このアルキメデスさん、他にも様々な発見をしているのですが
その中でも一番ヤバいのは『アルキメデスの熱光線』という逸話でしょう。
すごく簡単に言うと、めちゃくちゃでかい虫眼鏡の要領で太陽光を集めて
遠く離れた敵船にそれを照射し、敵船を大炎上させ撃退したという逸話です。発想がやばい。ビームじゃん。
いやー、僕もここまで概要欄や動画編集でやってきていますけど
一度くらいは皆さんの視線を集めてみたいですよね。それこそ、アルキメデスの熱光線くらいの熱量で。はい。
あ、でも熱光線浴びたら大炎上するのか。それはだめだ。助けてドラえもん。
(バランより。)
―――――
▽原曲はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=gb5jtBA8KFw
▼チャンネル登録よろしく▼
https://www.youtube.com/channel/UCNhplGFoeT_ylmw0MNP_LqA?sub_confirmation=1
■虹色侍SNS
虹色侍 公式Twitter
https://twitter.com/2416poprock
虹色侍 ロット
https://twitter.com/2416Roderick
虹色侍 ずま
https://twitter.com/ZUMA_2416
バラン
https://twitter.com/purechocolovely
TikTok
https://t.tiktok.com/i18n/share/user/6633989649541169154/
Instagram
https://www.instagram.com/nijiirozamurai7/
▼お仕事のご依頼はこちら
https://www.uuum.co.jp/inquiry_promotion
※虹色侍宛、と記載お願い致します。
▼プレゼントやファンレターの送付先
〒106-6137
東京都港区六本木 6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 37階
UUUM株式会社 虹色侍 宛
■監修・動画編集・概要欄 バラン
https://twitter.com/purechocolovely
#晋平太 #ゆゆうた #TATSUYA
古代 器具 在 Dd tai Youtube 的最佳貼文
湖南省永州,故雅稱“瀟湘”,湖南省地級市。位於湖南省南部,瀟、湘二水匯合處,下轄2區9縣,總面積22441平方千米,地勢三面環山、地貌複雜多樣。2017年常住人口547.97萬人。永州是國家森林城市、國家歷史文化名城。永州境內通過湘江北上可抵長江,南下經靈渠可通珠江水系,自古代便是重要的交通要塞,是湖南通往廣西、海南、粵西及西南各地的門戶。自西元前124年始置泉陵侯國以來,永州已有2100多年的建制史。此外,永州還是懷素、黃蓋、周敦頤、李達、陶鑄等歷史名人的故鄉。唐宋八大家之一的柳宗元被被貶至永州時,留下了《永州八記》,在文學史上影響重大。 2016年12月26日,國務院同意將永州市列為國家歷史文化名城。
零陵古城項目是湖南省「十三五」重點工程、永州市文旅一號工程,項目總投資70億元,於2016年9月正式投入建設。項目以宋代湘南建築為隱形骨架、明清建築形態為肌體、瀟湘永州文化為靈魂,打造成為體驗互動的文化主題樂園;集生態文化休閒、民俗文化體驗、市井文化消費、主題樂園互動、養生休閒度假於一體的文化旅遊產業示範園區。瑤族長鼓是一種膜鳴樂器,其基本形狀皆為兩端呈喇叭狀、中間細小、鼓腹鏤空,兩端鼓面多數以牛皮蒙面,鼓身通常繪有彩色圖飾。長鼓是瑤族民間常見的一種古老樂器,具有久遠的歷史,宋代《嶺外代答》中有「瑤之樂,有蘆笙、銃鼓、葫蘆笙和竹笛」的記載。原來早在12世紀的宋代,瑤族人民已能製作長鼓,但不相送、不出售,並且寨寨都有。古時稱為「鐃鼓」或「銃鼓」。從史料記載上看,瑤族長鼓舞已有800多年的歷史。長鼓舞是瑤民在長期實踐中不斷發展起來的一種民族舞蹈,它是抒發瑤民情懷和反映瑤民生活的精神產品,它所表現的內容都是瑤民的生產、生活在藝術上的真實寫照。瑤族民間的長鼓舞表演形式、套路繁多。其中八排瑤長鼓舞舞蹈時,表演者用綵帶將長鼓掛於左肩,橫於腰際,右手使掌拍鼓,左手持竹片擊鼓,分單人、雙人和群舞等形式,有多套傳統表演程式。長鼓的擊鼓動作大多表現為建房造屋、犁田種地、摹仿禽獸動作等生產、生活內容。舞蹈動作粗曠、勇猛、奔放、雄勁、洒脫,節奏明快、敏捷。舞蹈語言模仿上山下嶺、過溪越谷、伐樹運木、鬥龍伏虎等,形象生動,一看就懂。