[我的10 year challenge]
這是去年12/15在台灣辦的結婚典禮裡面唸的我對媽媽的信。這封信裡面出現我之前住的家。
但是這次為了跨年回國的時候發現新事實...
もう12月も後半、クリスマスがやって来るというのに、ここ台湾南部は、寒くなることもなく、雪が降ることもありません。
已經12月的後半了,聖誕節明明已經快到了,但因為這裡是台灣南部,所以不會變很冷,更不會下雪。
それでもやっぱり、少しは寒くなりますが、四季がはっきりしている日本の、さらに雪がたくさん降る富山県で育った僕にとって、台湾の気候は変化が少なく、よく今が何月であるかを忘れてしまいそうになります。
即使如此,天氣還是逐漸轉涼,對於四季變化鮮明的日本,以及對於出生在下很多雪的富山的我來說,台灣的氣候變化較少,有時候會不小心忘記現在是幾月。
そんな生ぬるい風の吹く台湾の冬、ふらふらと自転車に乗りながら月を見たりしていると、ふと、今ごろは雪が降っているであろう故郷の事を、そして、そこで暮らすみんなの事を思い出します。
在這台灣吹著帶點黏度的風的冬天裡,悠悠哉哉的一邊騎著腳踏車一邊看著月亮,突然,就會想起大概正在下著雪的故鄉,以及住在那邊的大家。
こうしてオカンにちゃんとした手紙を書くのは何年ぶりのことでしょうか?
最後にオカンに手紙を書いたのは、確か小学校6年生の時、卒業に際して書いた手紙だったと思います。
像這樣好好的給媽媽寫一封信已經是幾年前的事了呢?
最後給媽媽寫信的時候,我記得好像是小學6年級要畢業時,寫給她的。
その時書いたことは、今でも覚えています。
那時寫的內容,我現在都還記得一清二楚。
確か「お母さんは、頭がよくて、いつも何をしても完璧ですごいと思う。でもすぐ怒るのは良くないと思う」と書きました。
確實是「我的媽媽她很聰明,她什麼事都能完美的做好所以我覺得她很厲害,可是很容易生氣這一點我覺得不太好」這樣的內容。
それに、対するオカンの返事はこうでした。
然後,媽媽做出了這樣的回應。
オカンは僕が思うほど完璧ではないということ。
媽媽說:我沒有你想像的那麼完美,
若くして僕を生んだことで、子育てでは苦労をしたし、僕にも迷惑をかけたということ。
我很年輕就生下你,很辛苦的把你帶大,也覺得給你添了麻煩。
そして僕には、持ち前の集中力を活かして、自分の好きな道を歩いて欲しい。
そうすればいつかきっと、一成という名前の通り1つの事を、成し遂げられると信じている。という内容でした。
然後我希望,你能活用你過人的集中力,去走在你選擇你愛的道路上。
這樣總有一天,我相信你一定能像你的名字"一成"一樣,"成"就"一"件事情。這樣的內容。
あれから約20年の月日が過ぎ、今ではオカンはやっぱり偉大だったということを知ると同時に、
オカンは子供の頃僕が思っていたような完璧な人間ではないということもよくわかりました。
從那之後大概過了20年左右,我總算知道媽媽果然很偉大,同時也了解為什麼媽媽說她自己不是個完美的人這句話的意思了。
オカンは知っているかどうかわかりませんが、僕は毎回、富山に帰ると今は空き家になっている昔住んでいた家を訪れます。あのボロくて小さな家です。
我不知道媽媽你知不知道,其實我每次只要回去富山,我就一定會回去以前的舊家那邊走走看看。就是那個破破小小的家。
そして庭を歩いたり、玄関の前に座ったりして、いろんなことを思い返します。
然後走在庭院那邊,也會坐在玄關前面,回想起很多以前的事情。
一番よく思い出すのは、体が弱かった小学生の頃のことです。
我最常想起的,是我小學體弱多病的那段時期。
中学校に上がる前の僕は、夜中によく持病の喘息の発作が出ていました。
その度に、オカンは僕を玄関の前に連れ出してくれて、外の空気を吸わせてくれました。
要升上國中前的我,時常會在半夜突然氣喘發作。
所以每次發作時,媽媽都會把我帶出去到玄關前面,讓我吸吸外面的空氣。
その時、隣で背中をさすったり、言葉をかけてくれたことは今でも覚えています。
那時,你都會坐在我旁邊摸摸我的背,跟我聊聊天的事我到現在都還記得。
こんな話を、この前、彼女と一緒にあの家に行ったときにもしました。
這些事,我跟克甄之前一起回去時也有帶她去看過。
勉強もスポーツも大してできなくて、ただただ虫や植物や石が好きだった、子供の頃の僕と、あの頃のみんながそこにはいます。
我讀書跟運動都不是說特別厲害,就只是單純喜歡昆蟲或植物或石頭,小時候的我,跟那時候的大家都在那個家裡。
家はボロくても、貧乏でも、
あの家で、みんなで生活したことは僕にとっては、幸せな時間でした。
そんな過去への想いが僕をあのボロ屋に引き寄せるんだと思います。
就算家再破舊,再貧乏,對我來說,跟大家一起生活的那段時間,是很幸福的時間。
那些過去的回憶,總是會把我拉回到那個破舊的家。
ここ台湾はさすがは南国ということもあって、日本では見ない様な珍しい虫や植物を見かけることも少なくありません。そんな時は何枚も写真をとったり注意深く観察していてよく仕事に遅刻しそうになったり、遅刻したりします。
台灣這裡不愧是南國,在日本比較看不到的珍貴的昆蟲或是植物也不少
看到的話,我就會拍好幾張照片或是深入觀察,也因為看得太入迷,時常會導致上班快遲到,或是已經遲到。
道で綺麗な石を見つけた時はポケットに入れて持って帰ったります。そしてたまに、木が好きな友人が僕に珍しい種類の木片をくれたりもします。
在路上看到漂亮的石頭時也會放進口袋帶回家。然後又有時,喜歡木頭的朋友也會送我珍貴種類的木片。
ここでは子供の頃の様に時間が流れていて、自分のペースで生きることを許してくれます。在台灣這裡可以過著像小時候一樣的時間,也能容許用自己的步伐生活下去。
ここには、僕のペースで僕だけが成し遂げられる一つのことがあるみたいです。
我覺得在這裡好像有種,能用自己的步伐,也只有我才能做得到,在這成就一件事情的感覺。
そしていろんな活動を通して、日々、誰も成し得なかったことを成し遂げています。
然後參加很多的活動,每天每天,都在做著誰都沒辦法成就的事。
だから、今は、ここで生きていこうと思っています。将来のことはわかりません。
所以,我現在想要在這裡生活下去。但將來的事情誰都不知道。
日本は素晴らしい国で、海外に行くと更にそれを実感することが多いです。
日本是個很棒的國家,去到國外時更是常常這麼覺得。
でも今の僕では自分のペースで生きることはちょっと難しいみたいです。
但是要用現在的自己的步伐在日本生活下去的話,好像有一點困難。
オカンを含め、家族のみんなと、今、一緒に過ごせないのは、残念ですしそれは本当に申し訳ないと思っています。
包括媽媽,還有我的家人,現在雖然很可惜沒辦法一起生活,我也對於沒辦法住在一起的事情真的感到很抱歉。
故郷から、遠く、遠く、そしてまた遠くへと離れて行き、幾多の困難に苛まれながら不器用に生きる僕を見て親としてずっと不安とか心配を感じて来たと思います。
我離我的故鄉,很遠很遠,然後又要離開得更遠,看著被諸多困難考驗著,笨拙的活著的我
身為家長,感到非常不安以及擔心也都是理所當然的。
でも、今は昔とは違います。
但是,現在和以前不一樣了。
今は、僕のことをよく理解してくれて、そしてお互いに足りないところを補い合うことができる人と一緒にます。
現在,我跟一個有個非常理解我,然後我不足的地方會幫我補上的人在一起。
まだまだ未熟な二人ですが、1人より強く生きていけると思います。
だからオカンにも、これからはもっと自分の人生を生きて欲しいと思っています。
雖然兩人還有成長空間,但至少比我一個人活下去要來的強多了。
所以我希望,媽媽妳從今以後也能更加地活出自己的人生。
オカンが僕たちに望むことが、大成功や、富や名誉ではなく、健康と元気そして幸せだということは重々承知しています。
だからそこは僕たちも大事にして生きて生きます。
我知道媽媽妳期望的,不是大成功,也不是金錢或聲望,而是單純希望我們健康快樂以及過得幸福。那時寫的內容,我現在都還記得一清二楚。
そしてできるだけよく帰って、帰った時にはできるだけ家事を手伝ったり、料理をしたり、考えられる親孝行をしようと思います。
我也希望我能經常回去,回去的時候盡量幫忙做家事,做料理,可以的話盡量能盡到孝。
だから、いつまでも元気で健康でいてください。それが僕達がオカンに望む1番大きな願いです。
所以,我希望你能有精神的健康的生活下去,那就是我們對你最大的一個期望。
そして、これからは、少しは僕や僕たちを頼ってください。
恩返しはこれからしていこうと思います。
然後。從今以後,也希望你能多依賴我或我們兩人。
從今以後我也會努力回報你的養育之恩的。
とても、まとまりがない文章でしたが、こんなところにして、
こんなチャンスはもうないかもしれないので、言おうかと思います。
雖然感覺這是個沒頭沒尾的文章,又是在這種場合,
但我覺得這樣的機會可能不會再有了,所以我還是要講。
いろんな事があって、世の中いろんな評価がありますが、
少なくとも僕は、
オカンとお父さんの元に生まれてこれて、本当に良かったと思っています。
一直以來遇到了很多事,這社會也充滿著各種評論,
但至少我覺得,
我能出生在爸爸媽媽的身邊,真的是太好了。
(其實還有後面,但是因為時間的關係,只有唸到這裡。人家感動的時候被客人罵說「太長」 哈哈 我真的嚇到了😂😂其實前面有唸中文翻譯,但是唸到一半之後停止唸中譯。我一輩子絕對不會忘記這一件事👍)
#志甫一成台灣
#10YearChallenge
同時也有2部Youtube影片,追蹤數超過9,290的網紅Chor.Draft:Japan Music Group,也在其Youtube影片中提到,先日お子さんが誕生された石若Pを祝って、ドラフトのメンバーでお祝いのムービーを制作しました! この動画は、石若Pを祝うコメントで溢れさせたいと思っています!みなさん、コメント投稿していただけないでしょうか?私たちメンバーもコメントしたいと思います! 普段はコメントを遠慮しているそこのあなたも…今回だ...
子供の頃の 幸せな 思い出 在 大久保麻梨子 Okubo Mariko Facebook 的最讚貼文
和朋友們出去玩〜在家裡玩〜很熱鬧很開心的過年假〜
天天吃大餐!台灣的過年怎麼這麼幸福啊〜!
想起我小時候每年回長崎的外婆家和親戚們一起聚聚的那些年。
好懷念。
長大之後大家開始忙,親戚老朋友們聚會的機會也變少了,
可是真的這是很珍貴的機會耶。
每次這樣在台灣的生活常常讓我想到珍惜的東西。
我拍完戲回日本,一定約家人親戚們大家一起吃飯〜!
大家呢?好好陪家人嗎?
去哪裡玩呢〜?
玩什麼遊戲呢〜?
充好電了,也開始想劇組大家了。
差不多該開始準備明天拍戲的劇本〜
殺青倒數,很捨不得。
所以要更珍惜剩下的每一場。
遊んだ〜遊んだ〜!家でも外でも台湾の幸せなお正月大満喫したよー!
ご馳走もびっくりするくらいいっぱい食べたし、いっぱい笑って、大満足^ ^
子供の頃は、よく親戚のみんなと祖母の家に集まって賑やかなお正月毎年過ごしてたけど、
大人になるとみんな忙しいしなかなか集まれる機会なくなってくるね。
だから台湾のお正月は、そんな子供の頃の楽しい記憶を思い起こさせてくれました。
台湾で生活してると、こんな風によく、大事な物事を思い出させてくれます。
クランクアップして日本に戻ったら、家族と親戚と一緒にご馳走食べよう!って思いました。
しっかり充電できたし、現場のみんなにも会いたくなってきた!
そろそろ明日からの撮影に向けて、また台本に向かいます。
クランクアップまで、カウントダウン始まりました。
もうすでになんだか寂しいけど、だからこそ、残りのシーン全部大事に頑張ろうっと。
子供の頃の 幸せな 思い出 在 Chor.Draft:Japan Music Group Youtube 的最佳解答
先日お子さんが誕生された石若Pを祝って、ドラフトのメンバーでお祝いのムービーを制作しました!
この動画は、石若Pを祝うコメントで溢れさせたいと思っています!みなさん、コメント投稿していただけないでしょうか?私たちメンバーもコメントしたいと思います!
普段はコメントを遠慮しているそこのあなたも…今回だけ!どうですか?( ̄ー ̄)ニヤリ
※お子さんのお名前はご存知であっても書かないようにしてください。
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てふ/あとむ/ひご/ピングー
ロン/あかつき/ヨシハラ/デルタ/しゅん
ガモウ/かずのり/さかい/みやむー
マスター/まえぴー/やない/FoX
【本家】
日々 / 吉田山田【MUSIC VIDEO】https://youtu.be/4J9AcO6LrfM
【歌詞】
おじいさんはおばあさんと 目を合わせあまり喋らない
寄り添ってきた月日の中 ただ幸せばかりじゃなかったんだ
分厚いガラス眼鏡手のひらのシワ
写真には写らない思い出 笑い出す二人
出逢った日 恋に気づいた日
結婚した日 別れたいと思った日
子供を抱いた日 手を離れた日
溢れる涙よ これは幸せな日々
おじいさんはおばあさんを呼ぶ時も 名前じゃ呼ばない
おこった顔がいつもの顔 ただ嬉しい時には口笛ふく
お気に入りのニット帽 おばあさんが編んだ
子供の頃のように ありがとうが伝えられない
泣かせた日 家を出て行った日
抱き合えた日 背を向けて眠った日
希望を持たせた日 それを恨んだ日
溢れる涙よ やけにデコボコな日々
おじいさんは からだをこわして
おばあさんは 独り泣いた
伝えなくちゃ大切な気持ち
いつも毎日本当に、、、、
出逢った日 恋に気づいた日
結婚した日 別れたいと思った日
子供を抱いた日 手を離れた日
溢れる涙よ これは幸せな日々
涙の数だけ きっと幸せな日々
※屋外撮影のシーンがありますが、緊急事態宣言以前に撮影したものです。徒歩で集合、近所のひとけの少ない公園で、2m以上近づかないなどかなり気をつけながら撮影しました(会話も最小限、帰って即シャワーを浴びる)。
今見るとインパクトの大きい映像で恐縮ですが…、最大限安全には配慮しております!
#ChorDraft
produced by #石若雅弥
#ガモウ
#ハイム
ボーカル:ハイム・ガモウ
イラスト:ガモウ夫婦
※石若Pに内緒で作ったので石若Pは演奏に参加していません!史上初じゃないかな?
※あと当然ですがリモート演奏です(笑)
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子供の頃の 幸せな 思い出 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
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小学低学年のころ父に土日に
なると私はパチンコ屋に
連れていかれていた
朝から夕方まで1人で椅子に
座って見ているだけだった
母は土日仕事だったので家に
私を置いて行けなかったけど
パチンコをやらずにはい
られなかったからだと思う
中学年になるとパチンコで
数千万の借金が判明し
1度目は祖母が払い2度目は
(懲りずに続けていた模様)
母が働いて返してた
家の中でその事で親は
殴り合いの喧嘩をし
私に借金について何かに
つけて愚痴っていた
高学年になる頃に父は家から
出て行った
家族で出かけた思い出はないし
連れて行ってもらった記憶は
パチンコ屋だけだ
具合が悪くて吐いていても
何もしてくれないし
高熱で寝込んで学校を
休んでも親は家にいなかった
父の日が近くなると思い出してしまう
夫にはこんな惨めな過去を
話すことは出来ない
子供には同じ思いをさせないように
休みには行きたいところに
連れて行ったり
子供が好きなものを買ったりするけど
その都度昔のことが蘇って
悲しくなることは墓場まで持っていく
辛かったね。
我が子に同じ思いをさ
せたくない気持ちが
持てるのは本当に偉い。
強い気持ちが無いと同じ事を
繰り返す人が多いから。
何はともあれ、206さんが
幸せになってほしいわ。
にまるっと同意
似た環境だったから分かるよ。
子供の喜ぶ顔を見ると、
自分の親はその顔を
見たくなかったのかと悲しくなる。
自分がして欲しかったことを
自分の子供にして、
辛い記憶を供養してるんだと思う。
いつかお互い忘れられるといいね。
私もに幸せになる呪いをかけるよ
子供が持てた人はえらいね、
強いよ
私はだめだった
負の連鎖がよく取り上げられるけど、
ちゃんとした意識を持って
子育てして連鎖断ち切る人は
たくさんいるし、
自分はわが子を育てることが
リハビリになったなーって
子に感謝してる
誰かと子ども時代の話で
盛り上がるときに、
自分の子ども時代が不幸すぎて
だいたい不幸自慢の
かまってちゃんか嘘つきかと
思われてしまってばかりで、
大人になるにつれ誰にも
話せなくなるわ
たまに吐き出したくはなるけど、
その場がないから墓場までだな
話せないせいで、心を
許せない信用できない人って
思われてきたのかな、
と思い至る
友人も家に呼べなかったし
みんなは呼んでくれたのに
酷い家庭で育ったってのも
ある種ありきたりなのかも
しれないけど、
もしかしたら以前ここに
書いた墓場話は
相手によっては話せても、
子供時代のみじめな暮らしは
話せないかもしれない
そういう意味では家庭話は
私にとっても心底での黒い過去だわ
負の連鎖、私も断ち切れた
ような気がする。
お酒ばかり飲んで定職に
つかない父親が大嫌いで、
まだ健在だけど葬式で泣く
自信がなくて今から悩んでる。
誕生日とかお祝いして
もらったことなくて
自分の子供にもどんな事して
あげたらいいかわからなかった。
貧乏だけは嫌だと思って
それなりの夫と結婚した。
色々大変なことはあるけど、
公共料金や税金、
学校集金を滞納せず支払える
毎日がありがたいです。
普通の事すぎて人には言えない。
葬式で泣かなくてもいいんだよ
父が亡くなったとき母も妹も
私も泣かなかった
通夜に来てくれた職場の
上司に気丈だねと言わ
れたけど別にそういう
わけじゃないんだよ
誕生日確かに祝われた覚えがないな
考えたことなかったや
214です。
ありがとうございます。
母もまだまだ健在で、
母にはそれなりに感謝する
ようになってきたけど、
子供の頃は身なりも気にせず
一生懸命働く母を嫌だと思ってた。
小3の頃に父親の作文書く時、
何書いたらいいのか全く思い
浮かばなくて、
頑張って絞り出したのが
「力持ち
(農家だったので)」位だった。
今、70歳位だと思う
んだけどそう言えば両親の
誕生日もしらないや。
結婚式はやっと家出られると
思って嬉しくて泣けなかったし、
もし葬式になったら
忙しそうにして誤魔化します。
「辛い幼少期を送った子供は、
長じて同じような家庭を再生産する」
あれは、親に対しての
「だから子供をきちんと育て
なさいよ」
という戒めであり
子供に
「だから貴方は普通の家庭を
築けないだろうから要注意」
ではないんだよね。
つらい家庭で育った子供が、
長じて同じような家庭を作る
割合って、
せいぜい2割と。
少ない数字ではないんだけど、
半数以上―8割は普通の
家庭を作れるからと思うと
少し気持ちが軽くなるよね。
自分は、もう子供を望み
がたい年齢に近づいてから、
初めて上記の言葉に行きあたって
「ああ、産めばよかった」と
「自分が2割に入らない
保証は無いんだから」
と
揺れるうちに時間切れになり、
諦めの谷底で、無音の今と
未来を思っている。
自分の子供時代のような辛い
思いはさせたくないと、
ちゃんと子育てしてきた
つもりでも、いつか手酷い
しっぺ返しがある
んじゃないかとビクビクしてた。
でも、普通の家庭を築く人も
多いというあなたのレスで救われた。
ありがとう。
うちも超放任家庭だったけど
我が子と一緒の時間を過ごして
たわいない出来事で笑ったり
楽しくご飯食べてると
(自分の)子供時代をやり直す?
楽しかった時間に塗り替えて
追体験出来るのだと気付いた。
206さんもお子さんの
笑顔を見て子供の頃の自分を
慰めてあげてください。
虐待の連鎖って言葉は
もちろんあるけど全員がそう
なるわけではないよね。
頑張ったね。
これからもが優しい旦那さんと
素直な子供さんに囲まれて
幸せな人生を歩めますように!