陪伴種子學生走一段生命低谷~*⭐️
去年11 月
學生乳房有異樣(左乳頭出現單孔微量分泌物),去醫院🏥仔細檢查,有7公分的腫瘤,初步推斷是中度惡性腫瘤,再進一步「切 片」取様 化驗,報告結果是乳腺異常增生的良性乳房腫瘤。
切片時,打了麻醉針,學生本身已經7年沒吃過任何藥物,醫生開了一星期的止痛消炎藥給她。
回到家,因為乳房檢查、切片,整個左胸部瘀青,麻醉藥及切片的小傷口造成左乳房整個凸出一個大硬塊,她看著瘀青紅腫的乳房,想著醫生和她說的話,她哭了....,二個孩子還小,很害怕未來的變化...,想很多未來會發生的事....
於是,她打電話給我
老師,您有空嗎?
我想和您聊聊,我的身體出了一些狀況...
我: 好哦! 怎麼了? 您還好嗎?!
生: 不太好!我的乳房有 7 公分 腫瘤,做了切片,整個乳房都瘀青,胸部腫痛,我用老師的神農芳草膏擦瘀青的地方,稍微緩解了腫痛。
我:您飲食習慣要更嚴謹的調整了!
還有,您的 心 情 也是🌹
生:我吃五辛素10 年了,有段時間每天早上固定都會喝 「精力湯」,直到遇見老師,聽您解說才明白精力湯極寒,
原來,我的身體太寒了!
我: 人體是一個小宇宙,和大宇宙共振!
人由「陰陽之氣組成」,當身體「寒氣」太多時,會拉肚子、長疹子、咳嗽、流鼻水...,許多症狀反應,身體受寒了!
生 :初始喝精力湯 ,覺得身體充滿能量 ,排洩變好,氣色明亮。
以前不知道,這很寒...,直到聽到老師的課程分享時,我才驚覺,原來自己長期飲食習慣偏寒🌹
我: 很多人以 西方 營養學 基礎,來當養生保健法門,但西方人不明白 ,人體陰陽五行之祕,人的胃氣 近 40 度,低於 胃氣 飲食,都容易產生濕氣🌹
生: 一開始上課時,我聽到老師說,戒水果🍉,我還以為我聽錯了!
水果,不是充滿養分?!
而且,大家都說一日要5 蔬果,才健康啊!
我一聽到老師的論點時,心裏想,這個老師的頭殻是不是 壞掉了 !🤣
但和老師相處一段時間,跟著老師學習,也看了 李醫師的書「病從排寒解」,才開始明白,原來,老師的論述是有道理的🌹
我:身體腫瘤的形成,在道家古老的養生觀點來看,是因為身體「陰陽失調」,陰大於陽,氣會弱化 ,當氣弱化了,經絡走速變慢...,「氣 滯 血🩸 淤」,腫瘤就 形成!
生: 我願意好好調整自己的飲食習慣,也用自己做的手工皂洗身體,生活中的物質,儘量都是天然的!
持續的練習呼吸法,也有為自己靜靜敲缽 ...
我:腫瘤的形成...,非一朝一夕,它會在我們身體裡面,除了,我剛剛所說的以外,還有一個重要關鍵,就是 我們的「 情緒」。
情緒,會卡在我們身體裏,每一個 思想意識 ,都會🌹
生: 我明白了!我做了很多改變的事,卻忘了自己「 情緒」也必須釋放掉🌹
我: 人,都會 「執 著 」生命中,某些事情....
特別是在「 受 傷」情節中,
包括我也是
但,我們如果明白一件事: 我們都是來 經驗 人生的。
或許,慢慢就能 釋懷 並 理解 ,這一切都是我們的創造。
因為,我們的靈魂想經歷而已!
情緒,自然而然就不會再起了!🌹
生: 這好難!但我願意慢慢去接受,很多生活中的事情,都會引起 情緒 ,謝謝老師提醒🔔,我儘量去調整,並向我的身體「道歉」,原來,我的肉身,承載著我多年的 情緒🌹
我: 好好擁抱您的身體。可以唱歌🎤給身體聽...,我們的細胞會喜悅...,一切都可以 逆轉 的⭐️
生:我回診看報告,醫生說雖然確認是良性腫瘤,但仍希望我動刀切除,因為腫瘤太大了,怕之後質變,最好現在就先切除,比較安全。
醫生又開了一星期的💊藥給我,我和護士說,不用了!上次的💊藥,我一包都沒有吃,再給我是浪費了,護士驚訝地回我: 怎麼可能不用吃 止痛藥,胸部會很痛啊!我和她說,用了草藥🌿膏止痛了,切片傷口一晚就合了,瘀青也化了。
醫生說,藥不吃沒関係!
1個月後再安排時間來切除。
她回:和先生討論後再決定🌹
我: 身體能量先養好!
如果,您先生堅持要您動刀,您才有 本錢 可以快速調整自己的身體能量!
身體是活的!
絕對不是只有一塊 肉 而已...
不是那裡壞了切那裡?
要回到 源頭 ,從 「陰陽」重新調整起🌹
生: 我現在開始執行老師分享的「飯 水 分離」、「戒 水果」、「戒精緻甜點」、「戒寒食」、「泡腳」、「保暖」,每天認真練習 「深沉呼吸法」,喝「清肺解癰茶」、用神農解癰膏保養乳房。
我發現自己從來沒有如此,愛過自己!
我深深的和身體「道歉」,感恩我的身體🌹
我:非常好,要好好珍惜我們珍貴的肉身🙏
生:每天早晚持續的擦解癰膏,持續的執行著飯分、戒水果、喝好油、排寒保暖、深沉的呼吸、覺察著自己的情緒...,明顯的,腫瘤一直在變軟,且緩緩的縮小中。
我:很棒!身體開始 逆轉 了!
身體已經收到您愛衪的訊息...
繼續加油🙏⭐️
過了約3 個多月~
生: 老師,昨晚發生一件奇怪的事...,因一天的疲憊,一上床我已快進入夢鄉,突然間,我聽到我的左胸口,傳來奇怪的聲音.....“啵啵啵”
是像 氣泡 破裂 的聲音...
連續出現 3 次
我嚇一跳😱
不知道是不是身體出了什麼問題...
但,又實在很累很睏...
就不理他...,睡下去....
今早,擦解癰膏時一摸我的胸部...
那顆硬硬的小腫塊不見了!👀
我想,怎麼可能?!
我請我先生再確認一次...
先生說,真的,摸不到腫塊了!
我: 恭喜您🙏💗
您的身體,收到您用心、耐心、細心、恆心與愛的善待,細胞聆聽您的 心 語 ,愛能量在您身體 流動 起來,身體 陰陽之氣,転動平衡了⭐️🦋
🌿個案不能當通案
🌿身體有問題,要先找醫生協助
🌿調整身體,是一場馬拉松
🌿緣份俱足,能量才能共振啟動
🌿來自大地母親的深沉療癒力
🌿您愛地球🌍母親💗,地球🌍母親一定會保護您🙏✨
同時也有2部Youtube影片,追蹤數超過1萬的網紅noxxx710,也在其Youtube影片中提到,『外山恒一トークライブin東京』(文京区民センター 2A会議室) 2018年7月3日(火)19時〜21時 「外山恒一トークライブin東京」の映像です。 参加者からの質問に外山さんが答える質疑応答形式なので、気になる方は会場へ足を運んでみてください。 ■00:00〜 はじめの挨拶 ■01:45〜 ...
転向 思想 在 張國耀 Chong Kok Yew Photography Facebook 的最佳貼文
策展訊息 :
台北駐日經濟文化代表處台灣文化中心 歲月之旅–張照堂攝影展
歳月の旅–張 照堂写真展 ( 2015 / 9 / 1 – 10 / 30 )
レセプション : 2015 / 9 / 1 (火) 14 : 00 – 15 : 00
特別講演会 : 2015 / 9 / 1 (火) 15 : 00 – 16 : 30
司会 : 菅沼比呂志(ガーディアン・ガーデン/プランニング・ディレクター)
講師 : 瀬戸正人(写真家), 張照堂(写真家 / 台南芸術大学名誉教授), 沈昭良(本展キュレーター / 写真家)
開館時間: 10:00-17:00(土、日曜 & 祝日休館)
会場 : 台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター
〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-1-12 虎ノ門ビル2階
http://jp.taiwan.culture.tw/content_32.html
2013年9月,台北市立美術館為張照堂舉辦了名為「歲月照堂」的大型回顧展,展覽整體採編年式架構,分別為「少年心影」(1959-1961)、「存在告白」(1962-1965)、「裝置 / 塗鴉 / 原作」(1966-1986)、「社會記憶 / 內心風景」(1970-2005)、「數位發聲」(2005-2013)與「歲月容顏」(2005-2013)等六個主題,內容除了放大與輸出的攝影作品400餘件,也包括8部紀錄影片、裝置、拼貼、攝影原作、編輯刊物、繪本、手稿、歷年展出文宣等等,橫跨張照堂過去所涉略的電影、紀錄片、攝影、現代藝術、文學、劇場、出版等領域。
展出期間,除了吸引成千上百各個世代,不同領域的觀眾留連駐足,更引發相關的學術著述與研究討論,展出規模之全面,影響之深遠,可說是國內攝影藝術圈有史以來所僅見。不僅完整呈現張照堂的影像風格與美學品味,更確立其在台灣攝影與跨領域影像發展脈絡上,承先啟後的卓越成就與崇高地位。日本著述家暨愛知三年展總策展人港千尋,即曾在現代美術學報中坦言:「張照堂不只是一位傑出的攝影家,更是每個國家只可能僅會出現一兩位的那種藝術家。」
張照堂,1943年出生於台北縣板橋鎮(現新北市板橋區),父親為執業醫生,兄弟姊妹共七人排行第五,初中三年級時,向大哥借了一台Aires Automat 120相機把玩,卻也因此開啟了他不凡的影像人生。成功高中時期,參加攝影社團受教於鄭桑溪,其後雖進入台灣大學土木工程系就讀,反倒積極參與藝文活動,廣泛閱讀現代、存在主義文學,並開始觀念性的攝影創作。
大學畢業後分發至離島澎湖服役,退伍後的1965年與鄭桑溪共同發表「現代攝影雙人展」,迥異於當時唯美沙龍與社會寫實的現代視覺語言,自然招來當時傳統攝影圈頹廢消極的惡評,但卻也引起美術與文學界的鼓舞與關注。1968年張照堂進入電視台,從事新聞採訪、專題製作與紀錄片拍攝。1974年也曾瀟灑舉辦了「攝影告別展」。其後二十餘年,他全面性參與紀錄片與電影劇情片的拍攝製作,1997年就任國立台南藝術學院(現國立台南藝術大學)音像紀錄研究所教授,傳道授業,提攜後進不遺餘力。1998年籌劃首屆台灣國際紀錄片雙年展。生涯迄今獲頒有金鐘獎、金馬獎、國家文藝獎及象徵最高榮譽的行政院文化獎等重要獎項。
出生及成長在台灣的張照堂,歷經日本殖民、國府統治、黨外運動、解除戒嚴及總統直選等時期,自初中三年級的接觸相機以來,作品從不為針對特定議題的計畫性拍攝,反而幾乎都是工作之餘的隨性抓取,卻也因此定調了獨特的攝影風格,同時據已清晰回應伴隨他的歲月和時代。誠如評論家郭力昕所言:「張照堂成長於一個極度壓抑、苦悶的年代,並且在這樣的時代氛圍裡,走過了他創作的精華歲月。臺灣的這個時代背景,政治空氣是高壓、肅殺的,攝影文化是空白或貧乏的,張照堂的攝影藝術,就在這樣的政治與文化悶局裡,迸出了一個獨醒的、清越的高音。」
張照堂的作品,除了初中時期作品所展露的直觀純粹,大學時期則因喜愛接觸現代文學與藝術,面對當時台灣社會的政治高壓與思想箝制,攝影頓時也成為他抒發內心寂寥與撫慰外在荒蕪的材料,此時期那些塗抹的白臉、頭套塑膠袋和無頭身影的作品,在日後更被視為台灣現代攝影語法轉向的重要實踐。退伍後,進入媒體工作的張照堂,持續透過觀景窗,緊貼著台灣社會的氛圍與脈動,在城市、巷弄、荒郊和鄉野間,大量超現實語境與荒謬劇場式的作品,引人緘默也發人省思。其後,順應數位時代的來臨,張照堂援用了科技的便捷,將其轉化為攝影表現的另類可能,先前曾在「歲月照堂」回顧展中,陳列展示的拼組作品<夢遊-遠行之前>與<台灣-核災之後>兩系列實驗性組作,則是2005年進入數位時代後持續進行的創作類型。
綜合過去對於張照堂作品相關論述與研究的歸納,普遍將其創作風格,定調為抵抗當時台灣所處高壓統治與社會處境的精神性衍生,透過其所獨具的攝影眼,心理的,身體的,尋常的,淡然的,直覺的,進一步提出對於現狀的某種超脫與預知。然而,對照張照堂初中時期所拍攝的「少年心影」系列作品,其中所大量穩定展現,有別於那個年齡世代應有的尋找與凝視,很顯然的,他的成就,應不只是時代的重壓與凝鍊所積累而成,有相當確定的一部分,是那一股自幼在他身體血液裏,早已循環流淌的豐富素質與內斂情感。
此次受邀在台灣文化中心展出的23件作品,主要是挑選張照堂在1970-1990年間所拍攝,聚焦在社會記憶與內心風景,同時也回應本展”歲月”與”行旅”意象的精要式集結,除了作品本身的時間跨度,足跡也行旅式的遍及基隆、台北、桃園、苗栗、新竹、嘉義、屏東、宜蘭、花蓮和澎湖等地。其中,望安島上的少女容顏,阿里山上的日出遠眺,鼻頭角港邊的餘暉小憩,算命看板前的晃動身影,水岸邊的駐足凝望,車廂理的沉睡舒醒…。時而匆忙,時而停歇,時而展望,時而掩面,時而奮起,時而喘息。讓我們在人物近景與環境身影的視覺導引下,橫向與縱向的氛圍轉折中,重返那個蒼茫年代,重新經歷那個靜謐時空,領略張照堂在漫長的歲月行旅中,不斷遺落卻又不斷拾起的無盡視野與動人話語。 文 / 沈昭良
2013年9月、台北市立美術館で、張照堂(ジャン・ジャオタン)の大型回顧展「歳月/照堂」が行われた。展覧会は年代別の構成を取り、「少年の心」(1959-1961)、「存在の告白」(1962-1965)、「インスタレーション / グラフィティ / オリジナルプリント」(1966-1986)、「社会の記憶 / 心象風景」(1970-2005)、「デジタルでの発信」(2005-2013)、および「歳月の表情」(2005-2013)という六つのテーマに沿って、大きく引き延ばされた400点余の写真作品のほか、8本のドキュメンタリー映像作品、インスタレーション、コラージュ、オリジナルプリント、編集に関わった印刷物や絵本、手書き原稿、過去の展覧会のチラシやポスターなどが展示され、これまでに張照堂が関わって来た、映画、ドキュメンタリー映画、写真、現代美術、文学、舞台、出版など様々な領域を横断する展覧会となった。
会期中は、おびただしい数のあらゆる世代の観客だけでなく、様々な領域で活動する数多くの観客が足を運び、ここから学術論文や研究討論が生まれた。展示規模は全面的であり、展覧会が社会に与えた影響は計り知れず、台湾の写真芸術史上においても稀な事件であったと言ってよい。展示は、張照堂の写真スタイルやその美学を完全な形で伝えていたのみならず、台湾の写真や領域横断的な映像の歩みにおいて、張が先人の成し遂げたものをさらに刷新していく卓越した存在であることを強く印象づけた。日本の写真家で愛知トリエンナーレ2016の芸術監督を務める港千尋は、(台北市立美術館発行の学術誌)現代美術学報において、「張照堂は、傑出した写真家というだけでなく、いずれの国にも、ひとりかふたり出て来るか、というような芸術家である。」と述べている。
張照堂は、1943年に台北県板橋鎮(現在の新北市板橋区)に、医者である父のもとに、七人兄弟の五番目として生まれた。中学三年生の時、兄にアイレス・オートマット120というカメラを借りて遊び始めたことが、彼を、後の非凡な映像人としての人生へと導くことになった。成功高校に通っていた頃には、写真サークルに参加して鄭桑溪(ジェン・サンシー)に師事し、その後台湾大学土木工程学部に入学したものの、専門の勉強よりも芸術文化活動にいそしみ、近代文学や存在主義文学を読みあさり、コンセプチュアルな写真制作を行い始めている。
大学を卒業した張照堂は兵役に就き、離島の澎湖に配属された。退役後の1965年には鄭桑溪とともに「現代写真雙人展」を行い、当時の唯美的サロン写真や社会リアリズム的な近代視覚言語とはまったく異なる作品を発表した。当然のことながら、当時の伝統的な写真界においてはデカダンで消極的だという悪評を招いたが、美術界や文学界からは激励され、注目を集めることとなった。1968年に張はテレビ局に入社、ニュース取材のほか、特別番組やドキュメンタリー映画の撮影に従事した。また、1974年にも、曾瀟灑(ゼン・シャオリー)と「撮影(写真)告別展」を行っている。二十数年ほど、精力的にドキュメンタリー映画やドラマ映画の撮影に関わった張は、1997年には国立台南芸術学院(現・国立台南芸術大学)の音楽映像ドキュメンタリー研究所の教授となり、後続の育成に力を注いだ。1998年には、第1回台湾国際ドキュメンタリービエンナーレの準備に関わっている。これまでに、金鐘賞、金馬賞、国家文芸賞および台湾にて最高栄誉とされる行政院文化賞などの重要な賞を受賞している。
台湾で生まれ育った張照堂は、日本の植民地支配、国民党による統治、党外運動(訳注:民進党誕生以前の台湾における民主化運動)、戒厳令解除や、総統直接選挙などの時代を生き抜いてきた。初めてカメラに触った中学校3年生の頃から、作品は特定のテーマに沿って計画的に撮影されてきたわけではないが、むしろ仕事のあいまをぬって気ままに撮り続けてきたことが却って、独特の写真スタイルをそこに定着させ、ともに歩んだ歳月と時代とを、はっきり映し出すようになった。これについて、評論家郭力昕(グォ・リーシー)は次のように述べている。「張照堂は極度に抑圧された苦悶の時代に生まれ育ち、そのような時代の雰囲気の中で最も優れた作品を生み出した。この時代の台湾の政治的空気は高圧的・粛殺的であり、写真文化は空白でないとしても非常に貧しいものであった。張照堂の写真芸術はそんな政治・文化的に鬱々とした状況にあって、孤高の澄み切った高音を響かせたのである。」
張照堂の作品は、中学校時代には直感的な純粋さをみせていたが、大学時代には、彼の近代文学や芸術への傾倒のために、当時の台湾社会の高圧的な政治や思想統制へと向き合い、内面の寂寥を表現し、荒寥とした外界への慰めとなった。この時期発表された白塗りの顔や、頭に被ったビニール袋、頭のない身体を写した作品などは、その後ますます、台湾近代写真の語法を転換させる重要な実践であったと見なされるようになった。兵役からの退役後マスコミでの仕事を始めた張照堂は、それ以降もファインダーをとおして、台湾社会の雰囲気や脈動に切迫する大量のシュルレアリスティックで不条理劇的な作品を、都市や路地、荒れた郊外や農村で撮影し続け、観る者を沈黙に導き、内省を促した。その後張はデジタル時代の到来に順応し、そのハイテクの利便性を用いて、写真表現の新しい可能性を追い求めた。先の「歳月照堂」回顧展で展示された《夢遊—遠行の前》と《台湾—原発事故後》のふたつの実験作品シリーズは、2005年にデジタルカメラを用い始めて以降、張がずっと取り組んでいるものである。
これまでの張照堂の作品についての論文や研究には、その作品スタイルを、当時の台湾の高圧的な統治や社会状況に身を置くことで生まれる精神性との関連について語るものが多い。独自の撮影眼をとおした、心理的で身体的、さらりとして飄々とした直感的な表現だと捉え、さらには現状に対するある種の超越を提言する予言だとする。しかしながら、張照堂が中学校時代に撮った「少年の心」シリーズの、大量で安定した表現と比べてみると、このくらいの年の少年が当たり前に持っている探究心や対象の凝視とは、明らかに異なっていることがわかる。彼が成し遂げたことは、時代の重圧と精錬の蓄積のみによるものとは言えないだろう。そこには幼少時より彼の身体の血の中に循環していた写真家としての豊かな素質と、含蓄に富む情感が、必ず影響していたはずだと思うのだ。
今回台湾文化センターで展示する23点の作品は、張照堂が1970年から1990年のあいだに撮影したものを中心に選び、社会の記憶と心象風景に焦点を当てた。これらは同時に、先に述べた展覧会の「歲月」と「旅」の意象から精選したものでもあり、作品がくぐり抜けて来た長い時間だけでなく、作家が基隆や台北、桃園、苗栗、新竹、嘉義、屏東、宜蘭、花蓮や澎湖などの各地を旅した足跡を辿るものともなっている。望安島の少女の表情や、遠くに臨む阿里山の日の出,鼻頭角港の傍で夕焼けを眺めながらのひとやすみ、占いの看板の前で揺れ動く人影、水辺で足をとめて遠くを見つめる人、電車の中で眠ったり気持ちよく目覚めたりする人々…。時にあわただしく、時にゆったりと、時に遠くを眺め、時に顔を隠し、時に奮起し、時に息を荒くする。我々は、近景の人物と周囲の物影という視覚に導かれるように、水平や垂直の雰囲気の変化の中で、あの蒼茫たる時代に立ち戻り、あの静謐な時空を再び体験する。張照堂の長い歳月をかけた旅の中で、絶え間なく置き去りにされ、また絶え間なく掬い上げられてきた無限の視野と、心を動かす物語を味わいながら。
テキスト/ 沈昭良(シェン・ジャオリャン)
転向 思想 在 noxxx710 Youtube 的精選貼文
『外山恒一トークライブin東京』(文京区民センター 2A会議室)
2018年7月3日(火)19時〜21時
「外山恒一トークライブin東京」の映像です。
参加者からの質問に外山さんが答える質疑応答形式なので、気になる方は会場へ足を運んでみてください。
■00:00〜 はじめの挨拶
■01:45〜 北海道へ行ってきた話
■04:00〜 外山恒一は石原莞爾に似ている?
■06:31〜 ファシズム転向の経緯
■16:19〜 鈴木邦男は思想界の高田純次
■22:18〜 小林よしのり批判
■32:06〜 イスラム思想について
■35:08〜 帝室皇室王室について
■40:12〜 学生運動の限界
■49:32〜 戦前のファシスト
■54:32〜 学生課から弾圧されない方法
■1:03:25〜 嫌煙権問題では自民党を支持する
■1:09:24〜 少数派は団結するしかない
■1:12:21〜 オウム真理教
■1:17:19〜 中国は自覚のないファシズム
■1:23:39〜 ファシズムのカリスマ的支配を乗り越える方策
■1:26:23〜 外山流ファシズム論出版計画
■1:30:19〜 外山恒一は文章の人
■1:33:07〜 正しさの共有は危険
■01:37:08〜 告知〜おわりの挨拶
外山恒一twitter
https://twitter.com/toyamakoichi
ファシスト党・我々団
http://www.warewaredan.com/
我々少数派
http://ameblo.jp/toyamakoichi/
撮影・編集・録音:秋山理央
機材:SONY HDR-PJ790V、ZOOM H4n
秋山理央
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http://twitter.com/RIO_AKIYAMA
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この映像授業では「【日本史】 近現代の文化32 大正・昭和戦前の美術と戦時下の弾圧2」が約6分で学べます。この授業のポイントは「①戦時下の弾圧 ②戦争文学と教育統制 ③ ④ ⑤」です。映像授業は、【今回のポイント】⇒【ポイント①】⇒【ポイント②】⇒【ポイント③】⇒【今回のまとめ】の順に見てください。
この授業以外でもわからない単元があれば、下記のURLをクリックしてください。
各単元の映像授業をまとまって視聴することができます。
■「日本史」でわからないことがある人はこちら!
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・日本史 弥生時代
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・日本史 明治時代の文化(思想・教育・学問)
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・日本史 明治時代の文化(新聞雑誌・文学・芸術)
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・日本史 大正・昭和戦前前の文化
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・日本史 昭和戦後の文化
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