くらしの良品研究所「里親の日」
世の中には、さまざまな事情により家族と一緒に暮らせなくなった子どもたちがいます。このような子ども(0歳~18歳まで)を一定期間迎え入れ、養育する家庭のことを「養育里親※」と呼びます。1948年(昭和23年)に始まった制度ですが、国が推進しているにも関わらず、なかなか広がりをみせていません。今回は10月4日の「里親の日」にちなみ「里親制度」について考えてみました。
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同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 両親(母親)と絶縁する 時までが修羅場。 私は両親+兄、私、妹の5人 家族ですが、 妹は母の姉の子で、母姉は 妹が4歳の時に亡くなり、 母姉はシンママだったのもあり、 母が妹を自分の子として 育てると言...
里親制度 在 まとめまとめの Youtube 的最佳貼文
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両親(母親)と絶縁する
時までが修羅場。
私は両親+兄、私、妹の5人
家族ですが、
妹は母の姉の子で、母姉は
妹が4歳の時に亡くなり、
母姉はシンママだったのもあり、
母が妹を自分の子として
育てると言って、
めでたく我が家の子になりました。
妹は母姉がいない事に
ショックが大きく、
一時期失語症になり、
場面緘黙などにもなりながら、
治った今でも、少し吃音も
ありますが、
学校でからかわれることなく
過ごしていました。
それも母が妹の為に勉強
したからこそ、
それらの症状を改善できた
のだと思います。
妹のことがきっかけなのか、
母が里親として施設の子供を
育てたい。
救ってあげたいと言い出しました。
最初は家族みんな戸惑いましたが、
母は一度決めると曲げない
人なので折れて、
子供を受け入れました。
長いので分けます。
次の子供は男の子で、
親が子供を置いて夜逃げ
したなどが理由で、
施設に来た子でした。
その子はとにかく寂し
がりやで当時5歳で、
母の姿が見えなくなると
泣いて暴れる子供でした。
私たち家族でその子を支える
ために頑張った事は覚えています。
その後、母は何度も里親
制度で子供を育て、
その内のほとんどは実の
両親が(警察から)出てきた。
仕事を始め、子供を
引き取れるように
なったなどで親の元へ戻りました。
私が高校2年生の時でした。
教師の道を目指し、
進学を両親に打ち明けると、
母に反対されました。
理由を尋ねると、子供を
大学に行かせるお金があるなら、
一人でも里親を
育てたいという理由でした。
バイトや奨学金を借りて
学費は自分で出すと言うと、
バイトするなら就職して
里親を預かるための
資金として家にいれてほしい。
現に兄は高卒で就職して家に
お金を入れている。
との事で、その時は自分も
若かったので
「他人にお金を使うなら私に
使ってよ!」
と言うと、
母に殴られて泣かれました。
「他人って酷い!
あんたは両親がいるけど、
あの子たちには私たちしか
いないんだ」
と叫ばれました。
それでも大学への道を諦めきれず、
父方の祖母父に連絡し当分の間、
そこに置いてくれと頼み込むと、
祖父母は進学のサポートなら
私達がすると言ってくれました。
母はいつまでも私に対して
大学など金の無駄、
そのお金は里親のために
使うべきと言い続け、
大学に入ってからもそれは
続きました。
妹が高校卒業の時期になると、
私のように母に言われたのか
私の元へ逃げてきて、
専門学校へと進路を進めました。
私は大学を卒業後、
教師として就職、就職した
話を聞いたのか母が給料の
半分を家に入れろと言い
出しましたが無視、
妹が就職を機に絶縁宣言を
して今は平和に過ごしています。
兄は結婚し、家を出ています。
兄に聞いたところ、別に
金には困っておらず、
里親の子供たちに裕福な
暮らしをさせてあげたいがために、
私たちに金をせびっていた
ようでした。
以上です
里親になると結構な金額が
もらえるんだよね
従兄弟が里親になってるけど
養育にかかるお金はいくらか
出るって言ってた
里子だけ自分の子より貧しい
生活はさせられないから
持ち出しにはなるけどって
月一人8万と聞いたわ
必要経費は別に出る
です。
実際どのくらい貰って
いたかは私は知りませんが、
母は里子たちに色んな経験を
させてあげたいとかで、
色んなところへ連れて行ってました
(私たちは留守番)
里子たちが憎いとも思いませんし、
お金をもらえるからといって
里子を引き取る母は
すごいとは思います。
でも、私たちが友達と
出かけることに対して
「この子たちは可哀想なのに」
「あんたたちは自由にできて」
など小言は言われ続けました。
今思えば、いつでも
あなた達は買ってあげれるけど、
この子たちは今しかないの。
と言って、
誕生日プレゼント、もちろん
ケーキも、クリスマスプレゼント、
お年玉も私たち兄弟にはなし、
里子にはあり…といった
感じで母に祝ってもらった
経験はないですね。
お弁当も母が里子用、
兄と私が父、妹のを作る…
という感じでした。
里子には勿論、好かれて
おり、今でも交流もあるようで、
母の誕生日にはたくさんの花や手紙、
プレゼントが元里子から送ら
れてくるようです
社会から称賛される自分に酔う母か
離れられて良かった