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Taiwan San-Tai-Zi N.O.61 country: Panama.
台灣三太子第61個國家: 巴拿馬
台灣三太子來到第61個國家,帶著各國特色舞團,持續攻城掠地中!
其實一開始真的也不知道有能力到達這麼多國家,也不知道可以到達60,進而100,但在不放棄、不斷嘗試、硬幹,還有各大贊助商、台灣人的支持,以及各國商會、僑胞甚至外國人的支援之下,讓我一路前進到了這裡,今天幸運地突破了當初的目標60國,希望接下來在大家以及各路支援之下,順利、安全讓台灣三太子走完一百國,完成影片,感動世界!
而在巴拿馬,也要特別感謝台灣駐館的周麟大使與館員,在拍攝方面提供給我的多所協助!也願意在接下來的其餘中南美、加勒比海國家幫助我協調相關事項。也謝謝巴拿馬台灣商會全體會員,給予我最真誠的招待!
以下是日本著名攝影師/記者都築響一先生對台灣三太子的大篇幅報導,歡迎大家分享給日本朋友!
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ROADSIDERS' weekly
電音三太子、世界を行く!
ものすごくギラギラで、ものすごく大きな被り物をかぶって、ものすごくチープなテクノ・ミュージックに乗って、祭りの爆竹スモークのなかを踊りまくる「電音三太子」。こころある台湾知識人の眉をひそめさせ、祭りに酔う子どもたちを熱狂させる、現代台湾が生んだひとつのカルチャー・アイコンだ。
台湾南部・麻豆の地にそびえる珍寺・麻豆代天府を紹介した今年1月16日号のメルマガ後記で、電音三太子を僕はこんなふうに書いた――。
台湾は韓国と並んで、激しい受験戦争で知られています。小学校どころか幼稚園から塾通いという子供もたくさんいて、日本よりもはるかにタフな環境で、子供たちは日々戦ってます。
で、当然ながら脱落者も出てくる。その受験戦争から落ちこぼれた子供たちはどこへ行くのかと思って、現地の友達に聞いてみたら、「お祭りで踊るんです」と!
朴子電音三太子
お祭りで踊らないか、と先輩や友人から誘いがかかると、台湾ではそれが不良化への重要な第一歩だそう。誘いかけるのはだいたい街の不良グループで、子供の親たちは「うちの子が祭りの踊りに誘われた、どうしよう」とオロオロするのだとか。
祭りで練り歩く若者たちを見てみると、たしかに黒の革ジャンやジャージをワルな感じで着こなしているタイプが多く、ちょっとヒップホップというか、ギャングスタな雰囲気。
なかでも人気なのは「かぶりもの」を身につけた神様役で、顔が見えないという利点を活かし、廟会で踊りまくるのがお約束。麻豆代天宮でも、そんなかぶりものの神様が活躍していました。
聞いたところでは、そういう神様役のうちでも、最近は「電音三太子」と呼ばれるキャラが大人気だとか。三太子とは「ナタ」とも呼ばれる道教の少年神で、「蓮の花や葉の形の衣服を身に着け、乾坤圏(円環状投擲武器)や混天綾(魔力を秘めた布)、火尖鎗(火を放つ槍)などの武器を持ち、風火二輪(二個の車輪の形をした乗り物。火と風を放ちながら空を飛ぶ)に乗って戦う」(wikipediaより)のだそう。
下營玄天上帝廟遶境―電音三太子
「電音」とは、漢字から察せられるようにテクノ系のダンスミュージック。なので「電音三太子」とは、ちゃらいテクノ・ディスコに乗って、廟会や各種イベントで踊りまくる、新たなタイプのパフォーマーなんですね。
不良のお祭りダンスといえば、我が国では「よさこいソーラン」にとどめをさすわけですが、「電音三太子」はその台湾版なのかも。ドロップアウトと音楽とダンスが結びつくなんて、ちょっとうれしいというか。
数ある人気三太子チームたちのパフォーマンスを、なんとか地元で見たいものだといろいろ調べていたところ、祭りの三太子パフォーマンスのかわりに、なんとひとりの台湾人青年が、三太子の扮装を抱えて世界中をめぐり、三太子パフォーマンスを繰り広げているという仰天ニュースに遭遇。さっそくコンタクトを取って、台北在住のアーティスト・大塚麻子さんにインタビューをお願いした。重量17キロにのぼるという三太子の扮装とともに、いまも世界のどこかで踊っているはずの台湾青年、その名を呉建衡(ウー・ジェンヘン/Ed Wu)という。
台湾南西部の雲林県出身、1988年生まれという呉建衡はいま25歳の好青年だ。最高学府のひとつである国立台北大学のレクリエーションスポーツ管理学科に進んだ。2011年、バックパッカーとしてインド旅行に出る直前に「三太子を連れていくこと」を思いつき、以来現在(2013年5月)までに35カ国をめぐり、さらに「2014年末までに、三太子を連れて世界100カ国を来訪して映像を完成、世界を感動させる」目標に向かって、いまも旅の途上にある――。
19歳ではじめてニューヨーク、ボストンを個人旅行してから、半年ごとにどこかへ出国するようになりました。大学に通いながら、アルバイトをして旅費を貯めて。
旅のさきざきで、台湾のことをまったく知らない外国人によく出会いました。タイの種族のひとつだろうとか、タイ語を話し、タイフードを食べてるひとたちのことだろうとか・・・。アジアは日本しか知らない、というひとたちも多かったんです。
2010年の夏休みにアメリカのディズニーランドで3ヶ月間アルバイトをしたのですが、そのときも同じ反応に出会って、これはなんとかしなければならないと思うようになりました。
でも、具体的なきっかけは、2008年にシンガポールで開催された、世界コンピューターゲーム大会(WCG)に参加したときの「国旗取替え事件」でした。
当時19歳だった僕は、光栄にも台湾チームの旗手として、台湾の国旗を掲げて開幕のステージに上がることになっていたんです。参加したアジア16カ国の代表の国旗は、大会本部のほうで用意していたのですが、我々のために用意された国旗は青天白日満地紅旗でした (中華民国の国旗、1970年代以降に中華人民共和国が「中国」代表として国際的に定着していくなかで、しだいに台湾国内以外では使用されなくなっていき、オリンピックやFIFAワールドカップでも現在、公式には掲揚されていない) 。僕らのチームのあいだでは、「大会主催者は、我々が国際舞台で面している国旗問題を知らないようだ」と、黙って見守っていたんです。
ステージ上右から2番めが、19歳当時の呉青年
ところが開幕の20分前になって、シンガポール人の大会スタッフが、「きみたちの国旗はこれじゃないんだって?」と聞いてきました。僕は「間違いありません、これです」と答えながら、悪い予感を抑えることができませんでした。
あとでわかったのですが、大会スポンサーであるサムスン上層部の韓国人が、台湾は青天白日満地紅旗を使えないと指摘したというのです。けっきょく、開幕間際になって、旗を立てるポールが足りなかったのか、我々の青天白日満地紅旗が、みんなの目の前で無惨に地面に倒され、旗が取り外されると、どこから持ってきたのか、白いビニールにプリントされたチープな大会旗が代わりに取り付けられました。
その一瞬、時間が止まり、その場にいたすべてのひとたちの視線が僕に注がれるのを感じたんです。旗が取り替えられて、表面上はなにもなかったかのように見えましたが、心の中は堪え難い気持ちでした。全代表選手の目の前で自分の国家の国旗が地面に倒され、取り替えられてしまうなんて・・・こんな待遇は台湾にしかあり得なません。
でも、そこで大騒ぎして大会をボイコットしたりすれば、他のチームの笑い話になるだけだし、主催者も今後台湾を招待できなくなる。ニュースで報道されたとしても、それで台湾の立場が良くなることはまったくないでしょう。
この事件を通じて僕が悟ったのは、いくら政治力を使って無理押ししても、勝てる見込みはまったくない。我々はソフトな、自分たちなりのやりかたで国と自分を表現していくしかないのだということでした。
そうして三太子との旅が始まるわけですが、最初は2011年2月、インドに行ったときです。もともとは単なるバックパック旅行を計画していたのですが、出発の5日前になって、突然ひらめいたんです、三太子を持って行こう!って。
それで5日間のうちに装備、音楽の準備、ダンスステップの練習、すべてを用意して。仲のいい友達10人ぐらいにアイデアを話したんですが、「まぁいいんじゃないの、がんばれよ、ハハハ・・・」みたいな感じで、だれにもまったく相手にされませんでした。
たぶん、実際それがどういうことになるのか、だれもイメージできなかったんだと思うんです。だれも僕がほんとにやるとは思わなかったというか。実際、これはかなり突飛なアイデアではありましたし。
でも、そのときインドで撮ったビデオの反応が意外によくて、同じ2011年の8月から9月にかけてのアフリカ・ツアーのときは、企画書を書いてスポンサーを探したんです。そしたら北港朝天宮(雲林県にある有名寺院・媽祖廟の総本山といわれる)が、費用を負担してくれることになりました。それからはいろいろなコンペで経費を得て、旅を続けています。
これまでインド、エジプト、ケニア、南米と、特に恵まれているわけではない国を選んだのは、その国の人々に三太子を紹介するのが主な目的ではなくて、そこで踊って、撮ったビデオが欧米やアジアのひとたちの目に止まって、それが最終的に国際的なニュースに載ることを目的としているからです。
2011年アフリカ編動画
ですからインドとアフリカのビデオがみなさんに愛されて、支持を得て、ほんとうにうれしかった。今回の南米行きでは、もっとおもしろいロケーションを探して、もっと支持を得て、外国のメディアに注目されるようにがんばりたいと思ってます。それが台湾を知ってもらうことにつながるのですから。
確かに台湾社会では廟会(中国寺院での祭礼・日本の縁日にあたる)文化に、ネガティブな見方もあります。台湾人の廟会文化に対する見方は、簡単に説明するのは難しいのですが、僕は台湾特有の重要な文化だと思っています。台湾政府にそれをきちんと保存しようという考えがないのは残念ですが。
なぜ三太子なのかとたくさんの人に聞かれますが、台湾を宣伝するのにスポンジ・ボブというわけにはいかないし、僕自身は宗教信仰と関係なく、ただ単純にイメージが結びついただけのことです。電音三太子のイメージを借りて、ビデオを撮っているだけというか。
3年前にこの計画を思いついたとき、ちょうど女性歌手・王彩樺の三太子を使った曲がすごく流行っていて、僕が撮りたいと思っていたビデオに三太子のイメージがぴったりだったんです。それに三太子は外国人に注目されやすいし、ある意味、台湾を代表する要素を持っていると思ったので。
王彩樺はK-POPのT-ARAの原曲をもとに、三太子をMVに登場させてヒット。いまは台湾の浜崎あゆみを勝手に名乗っている43歳の芸能人
台湾の信仰や祭祀に詳しいひとたちは、三太子や電音三太子にも特別な尊敬や信仰の念がありますから、肯定的に見てくれますし、ネット上の酸民(皮肉的なネチズン)は、電音三太子は台湾を代表するものではないし、むしろ恥ずかしいものだと。僕のことも、三太子を踊っている悪ガキと大して変わらないと思われていたり。だから評価は両極端ですねえ。
でも三太子には、最初は物事を知らず、大暴れして人も殺したが、後には間違いを改め、勇敢に戦い、最後は親に迷惑をかけないために自決したという神話があります。
年寄りたちは、僕のしていることは三太子が僕に託しているのだと言うんですね。そんな光栄は僕には荷が重すぎますが、もし結果的にそのようなことがあるのだとすれば、僕はいつも問題を解決し、困難に立ち向かう勇気を与えてくれる三太子に感謝したい。また、三太子も現在の台湾の困難な現状(世界に認められない国家)を見て、なんとかしようとして僕にこの機会を与えてくれたのだと思うようにしています。
だから、僕はいつも三太子に感謝の祈りを捧げています。旅の途中で困難や挫折にあわないようにではなくて、困難や挫折に立ち向かう勇気を与えてくれたことに対する感謝です。
旅の途中では、もちろんいろんなことがありますから。エジプトでは最高気温が44度ぐらいになるので、まさしく体力勝負になりますし、通行人からちょっかいをうけたり、ここは撮影できないとか、自分と一緒でなければ撮影できないと言ってきたりする、あくどい商人たちとよくケンカしました。ルクソールの夜市では100人以上の子供に包囲されて、どうにもならなくなってかなり遠くまで逃げたのに、まだ追いかけてきてこづかれたり、国旗を引っ張られたり。
ナイロビの貧民窟では地元のギャングからみかじめ料を取られそうになって、僕らのボディガードと一触即発の事態になりましたし、インドでは警察官に連行されて、拘束されたこともありました。でも、もちろんどこの国でも、すごく良くしてくれるひとたちもたくさんいましたから。
最初のインド旅行で、警察に拘束された事件が報道されたこともあって、台湾に帰国した翌日から、たくさんの取材を受けたんです。で、記者のひとりに「今後も三太子を連れて外国での撮影を続けますか?」と聞かれて、僕は「いいえ、大変すぎるし、もう絶対こんなことはしません」と即答していました。
でもそれから3週間後には、youtubeにアップしたインド旅行の動画が、30万ビューを超えたんです! 「感動で涙が出ました!」というようなメッセージが次々と寄せられて。それで「ようやく自分の夢を追いかけるときが来た!」と考えるようになって。このビデオが、こんなにも多くのひとを感動させられたこと、その責任を感じるようになって、このストーリーを追い続けなければと決心したんです。
そうしていままでに53カ国を訪問し終えました。今回の4ヶ月の旅行では中南米、メキシコ、キューバー、コロンビア、ガテマラ、ドミニカなどを回り、これが終わると全部で65カ国来訪したことになります。2014年の後半には100カ国訪問が完了するはずなので、それからビデオと書籍を発表する予定です。
写真を見ても好青年の雰囲気がキラキラしている呉建衡さんだが、台湾国内では「あんなもん外国に見せるもんじゃない」と、顔をしかめるひとがたくさんいるであろうことも容易に想像できる。17キロの三太子の被り物を身につけて、灼熱の国の街角で踊ったりする行為が、「台湾という国をひとびとに知らしめること」にどれくらいつながるのかも、はっきり言ってよくわからない。
でも、文句をいうひとは動かない。くだらないことを真剣にやるひとだけが、じっとしていられなくて動きつづける。それが無駄な汗と涙に終わるかもしれないし、ときには奇跡にも結びつく。
分別ではなく無分別の素敵さを、呉青年は僕らに教えてくれているのかもしれない。
呉建衡youtubeサイト:
http://www.youtube.com/user/qzfadpwm/videos
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過147萬的網紅Johnnys' Jr. Channel,也在其Youtube影片中提到,YouTubeをご覧のみなさま、ヒーローになりたい「美 少年」です。 いつも動画視聴ありがとうございます。 今回も、美 少年ハウス(勝手に呼んでます…)からお届けします。 豪華お弁当を賭けて3対3のチーム対抗「間違い探し」をやってみました。 みなさんは、わかるかな? 一緒に考えてみてね!!!!!...
間違い探し実写版 在 VOP Facebook 的最佳貼文
Interview with 細倉真弓 Mayumi Hosokura
文/ 李威儀 Wei-I Lee;訳/ 施偉哲 Tetsu Shih
──最初写真を撮りはじめたきっかけを教えてもらえませんか?
細倉 最初、私は写真を始めた時が高校生の時なんですけど、その時、日本でHiromixとか長島有里枝、あと蜷川実花とガーリーフォトムーブメントみたいなのがあって、それに影響されて割りと若い女の子がコンパクトカメラでスナップするっていうのがすごく流行ってたんですね。それをきっかけで写真を始めました。
──KAZANシリーズはどのような考えから始めたのでしょうか?
細倉 最初は、こういうものを作ろうと思ってはじめたと言うよりはなんか割りと漠然と、なんとなくとってたんですけど、でもだんだんまとめていく間に徐々にコンセプトとか固まってきて最終的にこういう形になりました。
──KAZANの中ではポートレートだけではなく、鉱物、植物や枯れた枝とかもたくさん写ってますね。漠然と撮ってたんですって言いましたが、どういう考えでこういった素材を組み合わせましたか?
細倉 途中からこれの半分くらいできた時点からだいぶコンセプトも狭めていて、形はできていて最終的にある程度まとまった段階で出版が決まったんです。もともと一番最初にあったのはポートレートと自然の木とか岩とかあったんですけど、それだとちょっと弱いなと思って、もっと象徴的なイメージが欲しいなっていうので鉱物の写真をヌードのセットになるものとしておきました。鉱物のイメージは一番最後に象徴的なものに入れました。
──多くの場合、青春っていうテーマを表現するには、見れば分かるような直接な手段や鮮やかな比喩がよく使われますが、細倉さんにとってKAZANの中でもよく見られるような曖昧で象徴的なやり方はお気に入りですか?
細倉 青春みたいなそういう生活とかキッズライフみたいなものには興味がなくて、ポートレートは今この人は若くて綺麗だけど、でもすぐそれは失われる、失くなってしまうっていうのが悲しいなという気持ちでとってますから、あんまりこれが青春ですっていうような気持ちではとってないんです。
──ですから、KAZANの中で見られた「失ってゆく青春」っていうような感じは細倉さんが青春っていうことに対する思いですか?
細倉 なくなっていくんですけど、私が青春みたいなところに見てとってるって言うよりはもっと遠くからこういうものがあるよ、みたいな感じです。私はもうそこにはいないんです。遠いところから見てます。
──若者撮影者は青春をテーマにする例がよくあるんですが、それは身の回りの生活や人生のその段階にかかわるかもしれません。先程も言ったとおりにKAZANは「失ってゆく青春」っていうような主題が含まれてますが、それは細倉さん自身の命やその時点の考えにどんな関係がありますか?
細倉 もともとやっぱり昔のスターとかアイドルとか俳優さんとかの若いときの写真とか映画とかを見てると、もうその人は死んでるとか、おばあちゃんになっちゃったけど、でもその当時のものすごい綺麗な姿のものが残ってるわかじゃないんですか。まずそれがもともと記録で残ってるってのはすごいなっていうのがあって、やっぱり、これはもうないって分かってるから、こっちの写真とか映画とか映像がなんか素晴らしいという思いがあって、そういう気持ちです。
──撮影作業の流れについて教えてもらえませんか?
細倉 いつも友達だったり、友達の友達だったりとかをとってるんですけど、別にその人を私がよく知っていても、知らなくても、それはどっちでもよくて、撮影もそんなにじっくりするとかじゃなくて、本当には一時間くらいパシパシとって終わりみたいな感じなんで、表面を写しとるみたいな感じなんです。内面を知りたいとかそういうあんまり気持ちはなくて本当にそこにいる人を取る感じです。
──今年の8月に台湾の関渡美術館に一ヶ月滞在し、ポートレートのモデルを探してるそうなんですね。ちょっと気になるところがありますが、細倉さんが見たい、写真を撮りたいモデルはどんな人ですか?
細倉 私の好みもあるけど、不安定そうな感じのする若い男性です。
──そういえば、細倉さんの作品の中で確か男性のほうが割と多いですね。
細倉 そうですね。とって楽しいから。若者はすぐ変わっちゃうから。体もだし、考え方もだし、不安定であんまりしっかりしてないから、すぐ私が写真をとった状態じゃなくなっちゃうんです。やっぱり30才とかになるとあんまり変わんないんですよ、安定してるから。
──細倉さんの画像ではよくヌードの写真が見られますが、なぜそれに青春とつながるんですか?
細倉 最初から青春はそんなに意識してないんですけど。なんでヌードかというと、モデルのパーソナリティみたいなのをできるだけ出ないようにしたい。その人が服装とかで結構どういう人かっていうのが分かるから、例えばメッセージ書いてあったら分かるじゃないですか、その人はどういう人ですか、そういうのが嫌で、できるだけ本当にモデルのバックグランドが分からないけど、体だけの写真にしたかったわけです。
──細倉さんの作品の中で若い男の子や女の子がそれぞれのシーンで色々なポーズをするんですが、そういったシーンやポーズはどうやって構成したんですか?
細倉 ポーズは結構なんか難しくて、予めセッティングしてなかったんです。その現場の雰囲気によってモデルさんにこうやってくださいと調整したんです。だから自然な仕草ではないんです。意味はそんなにないんですけど、例えばとってる時はなくても、とった後の編集とか展示する時の組み合わせで出てきました。
──ですから、写真を二枚以上組み合わせ、それによって新しい意味を作り出すのは細倉さんの作品の大事なポイントですか?
細倉 結構大事です。一枚の絵と言うよりは組み合わせとか、しかもこれは絶対これとこれじゃないというよりは、今はこれとこれだけど、展示だとまたこれとこれになったりとかで、また新しい意味がその場その場で出来てきたりすることが大事です。写真の組み合わせは結構その場で変えます。
──人のポートレートやキレイな姿は撮影するのを通して過ぎ去った時代を写真に残ることができますが、違う写真の組み合わせによって、そういったイメージに飛ぶような躍動感が生み出させたんですね。
細倉 結構日本の編集の仕方って割りとこういう形が多いと思うんで、川内倫子とかも結構断片で、アラーキーとかも結構こういうイメージからイメージにすごい飛ぶような編集方法っていうのはわりと日本ではもともとあって、なんか慣れてるとそんなに違和感がないですけど、特に私のほうがより飛んでます。そこの編集に関しては見てる人がここからこういうふうに飛んでいくんだけど、その飛んでる間を自分で埋めるような連想ゲーム、アソシエイションゲームみたいな、そういうイメージで作ってます。
──細倉さんは気に入りの撮影者はいますか?誰かの作品に影響されてますか?
細倉 Jack Piersonが写真をはじめた頃から好きで影響を結構受けてます。
──これからKAZANシリーズは続いていくんですか?それとも、今は他の計画に取り組んでますか?
細倉 これはこれで一旦終わりなんですけど、でも似たようなテーマで色々変えながら続くと思います。
──同じく若者がメインですか?
細倉 そうですね。今のところはこういう感じですね。若いものが多いですね。
──ところで、作品の中で写った鉱物は細倉さんにとって特別な意味がありますか?
細倉 ポートレートの反対にあるものとして、ポートレートはすぐ変わっちゃうし、失くなってしまうんですけど、鉱物は変わらないものの象徴としてあるんですけど、写真になるとどっちもなんか同じだよ、みたいな感じです。
──KAZANについてよく聞かれた質問は何でしょうか?
細倉 なんでKAZANなんですか?(笑)
──それは何故ですか?
細倉 KAZANっていうのはボルケーノのことなんですけど、火山って活火山とか死火山とか休火山とかいろんな状態があって、マグマとか山の鉱物とかで命がない物質だけど、やっぱりイメージとして爆発したりとか、流れるマグマのイメージですごい生きてるようなイメージがあるんじゃないですか。だから「命のあるもの」と「命のないもの」の間にあるようなものの象徴としてKAZANと名付けたんです。
──なるほどね。
細倉 あと、スーザン・ソンタグのボルケーノラバーという小説があって、それも結構好きだったんでちょっと影響を受けてます。
(中文版訪談請見VOP Issue 6 : 反叛)
http://www.vopmagazine.com/post/32390909917/interview-mayumi-hosokura
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